第20話 格安馬

 またこの季節がやって来た。


 2001年7月、セレクトセール。


 圭介は内心、気が重かった。

 何しろ、所属馬が今年、やっとデビューとはいえ、それらの馬が勝つまでは賞金が入らない、つまり収入が入らないし、ただでさえ、牧場は黙ってても「支出」が多い。


 その上、馬を調教師に預けたことで「預託金」が毎月発生する。

 要は「金がない」のだ。


(そもそも1億円で始めるのは無理があった)

 今さらそんなことを思ったところで遅いのだが、己の決断を誤ったとさえ思い始めていた。


 もっとも、美里を恨むつもりは、微塵もなかったが。


 そうこうしているうちに、今年もまたセレクトセールの季節が来たので、彼は仕方がなく、美里に、


「とりあえず参加するんで、よろしく」

 と、伝え、相馬にも、


「あ、相馬さんも一応、来て下さいね」

 と、バカにしているのか、頼りにしているのか、よくわからない依頼を出していた。


 セレクトセールは、昨年と同じように苫小牧で行われた。


 参加してみると、やはり会場には山寺久志と、長沢春子というライバル馬主たちの姿があった。


 この年の注目馬は、イラストリアスと、シュールレアリスムという馬の仔だった。


 特にイラストリアスは、1998年の日本ダービーを勝った馬で、GⅠを5勝して、2000年に引退。血統的にも母の父の父、つまり3世代上と、父方の4世代上に同じ大種牡馬がいるという、いわゆる「奇跡の血統」を持っていた。この年、大注目の馬だった。


 シュールレアリスムは、1997年、1998年と天皇賞秋・春の天皇賞春秋連覇を成し遂げ、GⅠ通算6勝を挙げていたから、こちらも注目の的だった。


 そのため、その血統を継ぐ仔の価格は、圭介の想像以上に上がっていた。


 実際、セリに入ると凄まじい状態が展開される。


 この年、一番注目されたイラストリアスとエルフマスターの仔、エルフマスターの2001は、次々と有力オーナーブリーダーや馬主がセリに参加し、終わってみれば2億8000万円の高値がついて、とあるオーナーが落札。

 金持ちと思われる、山寺久志や長沢春子も悔しそうな顔をしていた。


 さらに、シュールレアリスムとゼーレの仔、ゼーレの2001も、結局、山寺・長沢ともに獲得できず。別のオーナーが2億円で落札していた。


 そして、彼らは。


「では、イチゴジャムの2000。50万円からスタートです」


「100万円!」

「200万円!」

 低レベルな争いの渦中にいた。


 最初、圭介は「安くても将来性がある馬なら血統は問わない」と相馬に言っていたのだが、今回、相馬が推した馬は、昨年のセレクトセールで250万円で入手した、ミヤムラジョオウより、さらに怪しい零細血統の馬だった。

 牡の1歳だが、どうも頼りない風貌をしている。

 もっとも、格安でも後に大成して活躍する馬もいるから、一概には言えないが。


「では、子安ファームさん、300万円で落札で決定です!」

 司会のアナウンサーが声を張り上げる。


「次は、もうちょっと血統がいい馬がいいんですが」

 と、やんわりとだが、相馬に向かって圭介が告げると、競馬新聞を読みながらも、相馬は、


「兄貴。では、あの馬はどうでしょう。父は重賞を勝ってます」

 そう言って、相馬が示したのは、ジャネットの2000。父は、確かに「重賞」を制していたが。

 それでも数年前の1997年に地方の船橋競馬のマリーンカップ(GⅢ、現在はJpnⅢ)を制しているだけだった。母の方も、目立った繁殖成績を残していない。


「まあ、しょうがないでしょう」


「では、ジャネットの2000、入ります」

 司会に従い、入ってきたのは、小柄な1歳の牝馬だった。弱々しそうにも見えて、どこかよそよそしい。


 だが、

「200万円!」

「400万円!」

 意外と、セリは盛り上がり、この血統にしては吊り上がるか、と思いきや。


「500万円!」

 圭介が叫んだ額が最後になった。


「では、子安ファームさん。500万円で落札で決定です!」

 意外なほどあっさり決まっていた。


 実際、問題として金がないから、高い馬は買えないという実情があるが、それでもどこか釈然としない様子の圭介。


 帰り際に、いつものように山寺久志にまたも馬鹿にされ、長沢春子からは謎の応援をされていたが。


 引き取りの手続きを終えて、帰りの車で、圭介は同乗していた美里と、相馬にあっさりと告げてしまうのだった。


「牡はミヤムラシャチョウ、牝はミヤムラオジョウで」

「ええっ。もう決めたの? っていうか、シャチョウとオジョウって、あんた、バカにしてんの?」

 助手席に座る、スーツ姿の美里から思いきり睨まれていた圭介だったが。


「一応、念のために聞くけど、なんでそんな名前にしようと思ったの?」

 眉毛を釣り上げた怖い顔のまま、笑顔で聞いてくる美里が怖かった。


「ああ。シャチョウは、何となく社長っぽいから。オジョウは、何となくお嬢様っぽいから……って痛っ!」

 思いっきり足を美里に蹴られている圭介だった。


「どうでもいいが、運転中に足を蹴るな。危ない」

「知らない! ホント、適当ね!」

 完全にヘソを曲げてしまう美里を、あやしながら帰宅。


 もちろん、厩務員兼牧場長になった真尋には、

「マジ受ける! シャチョウとオジョウって!」

 と爆笑されていたことは、言うまでもない。


 ミヤムラシャチョウは黒鹿毛、ミヤムラオジョウは鹿毛の馬だった。

 こうして、また新たな幼駒が2頭厩舎に入ることになった。

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