第4章 デビュー

第16話 勝負服と展示会

 年が明けた。

 平成13年(2001年)。


 1月。

 圭介は正月に札幌にある実家に帰り、4日には牧場に戻り、正月の挨拶も済ませた後。


「圭介。そろそろ勝負服を決めて」

 と、朝の報告時に彼は美里から言われていた。


「勝負パンツ?」

「勝負服!」


「わかってるよ。冗談だ」

 むすっと頬を膨らましたように、露骨に機嫌が悪くなる美里を置いておいて、圭介は頭の中に、騎手の服をイメージするが。


「いいよ、適当で」

「適当じゃなくて、ちゃんと考えて。一応、これもオーナーブリーダーの特権だよ」

 そう。基本的にオーナーブリーダーや馬主しか、この勝負服は決められないのだ。


 しかし、ここでも圭介の生来の適当な性格が出てしまう。

「これを参考にして」

 と、美里から渡されたのは、勝負服の柄が描かれた小冊子だった。


 そこに描かれていたデザインは、多彩だった。

 一応、中央競馬会によって規定はあるが、色は13色から選べる上に、柄も輪、山形、たすき、一文字、帯、縦じまなどなど18種類から選べる。

 なお、勝負服で選択できる範囲は上半身のみで、下半身は白に統一されている。


 そこで、適当な性格の面倒臭がりの圭介は、即決していた。

 思い浮かんだのは、数年前に設立された、北海道札幌市の札幌ドームを本拠地とする、Jリーグのサッカーチームのユニフォームだ。


「赤と黒、縦じまで」

 驚くべき速さで、決めてしまう圭介に、美里は呆れていた。


「もう決めたの? ちゃんと考えた?」

「考えたよ」

 溜め息を突く美里。


「それと」

「まだあるのか?」

 美里を、実家の母親のように、鬱陶しそうに思っている圭介に対し、彼女は、


「馬主協会から連絡が来たわ。来月、展示会をやるから良かったら参加して、って」

 と思い出したように告げてきた。

「展示会? 何だそりゃ」


「種牡馬のセールよ」

 種牡馬。つまり、競走馬を引退した牡馬(牡)のセールである。

 これには、有名なGⅠを勝った、歴史的な名馬が出ることで、馬主の間では有名だったが、まだ実質1年目のような圭介は、まだわかっていなかった。


「ああ、じゃあ参加で」

 と、相変わらずよく考えていないまま回答を出す彼だったが、1か月後、現実を見ることになる。


 2月初旬。

 前回、その展示会が7月にセレクトセールを実施したのと同じ、苫小牧にある、大馬主の牧場で行われることになった。


 しかも、今回は寒いのに完全に屋外で展示される。


 その日、苫小牧に雪は降っていなかったが、日中でもマイナスに達するくらいの、曇りの寒空の下、展示会は開かれた。


 圭介は、美里と相馬眼を持つと噂の相馬を連れて行くことになる。


 ここには、全国(と言ってもほとんど北海道)から馬主が集まってくる。その中にはあの憎たらしい山寺久志や、逆に美しい長沢春子の姿もあった。


 展示会は、引退した有名な種牡馬を順番に、連れてきてナレーションの元で行われる。


 つまり、そのナレーションが、種牡馬の現役時代の成績を告げて、アピールし、最後に金額を言うのだ。


 対象となる種牡馬は、数年前に引退した、元・GⅠ4勝の名馬・クロムウェルやら、凱旋門賞で2着と奮闘した歴史的名馬でもあるフォースロード、そして昨年7月のセレクトセールでその仔を入手したゴーマイウェイなどなど、圭介や美里が知っている馬たちが次々に来るが。


 その価格を聞いて、圭介は愕然とする。

「3000万円? 5000万円? 無理だな、これは」

 現実的に、財政難の子安ファームでは、どの種牡馬も手が届かないのが実情だった。無理をすれば買えないことはない金額だが、圭介は手元にお金を溜めておきたいと考えていたのだ。


 安い物でも800万円はすることに唖然とする圭介。

 対して、美里は、


「まあ、無理だと思ったけどね。今のウチの経営状況じゃ厳しいのはわかってたけど、一応、参考までに来たんだ」

 と、少し寂しそうな笑顔を見せていた。


 相馬は相馬で、

「やはりゴーマイウェイはいい馬だ」

 などと一人、悦に入っていた。


 結局、彼らは1頭も種牡馬を入手出来ないまま、ただ眺めているだけで終了となる。


 そして、展示会が一通り終わった後。

「やはり貧相な貴様らの牧場では、種牡馬なんて入手できなかったようだな」

 勝ち誇ったような顔で、あの男がやって来た。

 説明するまでもなく、山寺久志だった。


「山寺さん」

「……」

 美里は無言のまま、怖いくらいに彼を睨みつけていた。


「ド素人のお前らは、この展示会の意味すら知るまい。展示会とは、競走馬にとって最も重要な、種付けに使う種牡馬を選ぶ貴重な機会なのだ。もっとも、貧乏なお前らには一生縁がないだろうけどな」

 ふははは、と鼻につくような笑い声を残して、言いたいことだけを言って、去って行く山寺の背中を見て、美里は拳を握り締め、


「ちょっと、圭介。あいつ、殴ってきていい?」

 と般若のような顔で、圭介に告げていた。


「やめとけ」

 美里に対し、そう言っていた矢先。


「あら、子安さん」

 今度は、柔和な笑みを浮かべて現れたのは、相変わらずどこぞのお嬢様のように、高そうな服を身に着け、今日は高級そうなネックレスまでつけていた長沢春子だった。


「長沢さん」

 一瞬で、顔が上気している圭介の横顔を見て、美里は不機嫌そうに彼女に視線を送る。


「私は、2頭ほど種牡馬を手に入れましたが、あなたたちはどうですか?」

 わかっているのか、それともわかっていないのか、彼女は柔和な笑みを浮かべたまま聞いてくる。


「いえ、残念ながら」

 しかし、首を振る圭介に、彼女はその内面を隠すように、山寺とは異なる反応を示す。


「仕方がないですよ。まだ馬主になられたばかりですからね。これからですよ。がんばって下さい」

「は、はい」

 思わず緊張して、声が上ずり気味の圭介に、やはり美里は不服そうだった。


 彼らは、まだ長沢春子の本性を知らなかった。

 こうして、展示会は、彼らにとっては、「無駄足」となる。

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