第78話 進撃王の夢

 一方、このレースの直後。札幌競馬場に来ていた、関一朗太調教師から圭介は、場内の関係者専用のルームに呼ばれていた。


 一応、「オーナーだけ」来て欲しいとのことだったので、一人で向かう。


「オーナー。わざわざありがとうございます」

 関調教師は、相変わらず物腰が柔らかく、話しやすい人物だったが、わざわざ呼びつけるには理由があるのだろう。圭介はそれを察して、先手を打った。


「ミヤムラシンゲキオーに何か?」

 ということだ。


 だが、

「はい。と言っても大した問題ではありません。レース直後に管骨の骨膜炎を発症しまして、連戦はできなくなりました」

「そうですか。残念です」

 と、圭介もその悲報に一瞬、表情を曇らせるが、関によると軽度の物のため、連戦は出来ずとも2、3か月を置いて復帰できるという。


 実は、関の言いたいことはそのことではなかったことが判明する。

「ミヤムラシンゲキオーは、本当にすごい馬です。こんなすごい馬を任せていただけるなんて、調教師冥利みょうりに尽きます。そこで……」

 彼は、ノートを取り出し、そこに書いてある物を見せてくれるのだった。


 そこには、ある「プラン」が書いてあった。


 ノートの1ページ、頭の部分には、

―クラシックロードへの道―

 と書かれてあった。


 そして、以下には、

・500万下

・オープン

・朝日杯フューチュリティステークス、あるいはラジオたんぱ杯2歳ステークス

・弥生賞、あるいはスプリングステークス

・皐月賞

・日本ダービー

・神戸新聞杯、あるいはセントライト記念

・菊花賞


 と、書いてあったので、さすがに圭介は、驚いて目を見開いていた。


「クラシックロード。本当に目指すんですか?」

「それに値する馬です。彼は、本当に体が柔らかく、バネのようなノビを持つ筋肉を持っています。これは天性の物でしょう」

 圭介は、かつて相馬が言っていた「ドレッドノート」のことを思い出していた。体が柔らかいアスリート気質。そういう馬は三冠を目指せる、と。


「もちろん、ここに書いてあるのは、大まかな目安で、状況によって柔軟に変えます。よろしいでしょうか?」

「ええ、それはもちろん」


「ありがとうございます。ただ、一つだけ懸念事項がありまして」

「懸念事項ですか?」


「はい。ミヤムラシンゲキオーは、確かに素晴らしい素質を持った馬ですが、一つだけ、妙な特徴と言いますか、歩様がありまして。普通の馬と違い、彼は前脚が肩のあたりまで振り上がるほどのフォームが特徴で、それだけ脚にかかる衝撃も大きいのです。ボクシングで言えば、ハードパンチャーですね。力は強いですが、その分、ケガの確率も高くなります」

「なるほど」


「元々、彼のように体の柔らかい馬は基本的に故障しにくいのですが、ミヤムラシンゲキオーはあまりにも体が柔らかいため、着地した時の支える力が弱いと思われるのです」

「では、調教は軽めになるのでしょうか?」


「本来ならそうした方がいいのかもしれませんが、逆に軽い調教ばかり繰り返しても、レースでいい成績は残せません。その辺りがジレンマと言いますか、難しいところですね。坂路ではなく、ウッドチップに変えるという手もありますが」

 正直、調教に関しては、圭介は素人だった。

 ウッドチップの方が、脚にかかる負担が小さいということはわかっても、それでも軽めの調教ばかり繰り返しても、負荷は少ないが、成長力も少なくなるだろう、と予想した。


 そのため、

「その辺は先生にお任せします」

 とだけ言っておいた。


「かしこまりました」

 親子ほど年が離れている圭介に対しても、関は敬語で、穏やかに頷いた。


 その上で、

「こちらとしましても、精一杯やります。ただ、今のところ、彼のライバルとなるような馬はいませんが、今後はどうなるかわかりません。ですので、せめてオーナーには満足いただけるように、レースに向けての調教を注意しながら実施します」

 と、丁寧に提案してきたので、圭介は、


「よろしくお願いします」

 とだけ言うしかなかった。


 彼は調教に関しては、ほとんど門外漢に等しいからだ。


 ただ、最後に、

「ミヤムラシンゲキオーで、日本ダービーを取ることが出来れば、最高でしょうね」

 とだけ、口にしていた。


「それも夢ではありません、と言えるくらいには才能がある馬ですよ」

 関調教師が太鼓判を押してくれた。


 それだけで圭介は満足だったので、笑顔のまま彼と別れることになった。


 戻った圭介を待っていた、美里と相馬。

「どうだった?」

 当然、声をかけられた。


「ああ。ミヤムラシンゲキオーはすごい馬だそうだ。クラシックも目指せる、と」

「マジですか? やはり、彼は特別な存在ですな」

 相馬は無条件に喜んでいたが、美里は心なしか暗い表情を浮かべていた。


「それだけじゃないでしょ?」

 と。


 さすがに鋭いと思った圭介は、別に「口止め」をされているわけではないので、関から聞いたことを伝えた。

「ケガか。まあ、それに関しては、どの競走馬も宿命だからね。運じゃないかな」

「そうですね。過去、どんなに速くても、ケガが原因で、無念に引退した馬は数えきれないくらいいます。関調教師を信じましょう」


 果たして、ミヤムラシンゲキオーは、来年のクラシック戦線で活躍できるのか、それともケガで夢が破れるのか。


 結果は、「神のみぞ知る」状態だった。


 だが、数週間後の9月28日(日)。


 中山競馬場、第4レース、新馬戦にて。


「1枠1番、ナガハルホクトオー、圧勝!」

 後続に8馬身も差をつけて、圧勝のデビュー戦を飾った馬は、かつて長沢春子が自ら名前を上げていた馬の1頭だった。


 まさに、新馬戦のミヤムラシンゲキオーと同じように、他馬を「子供扱い」して圧勝したその馬、ナガハルホクトオー。長沢春子が所有するその馬を、苦々しく思いながら、ラジオに耳を傾けていたのは、秘書の美里だった。


 ライバル対決は、この時から静かに幕を開けていた。

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