第37話 新潟の契機

 同年9月。


 圭介と相馬、そして美里は新潟競馬場にいた。


 2003年9月6日(土) 新潟7Rレース 3歳以上500万下(ダート・1800m)、天気:曇り、馬場:重

(※500万下=1990~2019年までの表記、現在は1勝クラス)


 前日に雨が降ったため、馬場状態は良くなく、重馬場だった。


 重馬場だと、芝コースの場合は良馬場と比べると走破タイムがかなり遅くなる。最も荒れる展開になる可能性が高い馬場状態と言えるため、予想が困難になる傾向がある。


 しかし、反対にダートコースの重馬場はレース展開が早くなる傾向にある。荒れた馬場が得意な馬、反対に不得意な馬がはっきりと分かれてくるので、ダートで馬を選ぶ時は一つのポイントになっていく。


 このレースには、ミヤムラジョオウが出走することになっていた。


 普段は、滅多に競馬場に行かない彼らだったが、その日珍しく、それもわざわざ新潟競馬場まで足を運んだ理由は、数日前に遡る。


「やっほー。オーナーくん」

 いつの間に、オーナーの圭介の執務室にある電話番号を知ったのか、ギャンブラーの坂本から圭介に電話がかかってきた。


「何だ、美雪さんか。何でこの番号知ってるんですか?」

「そんなことどうでもいいの。それよりミヤムラジョオウが次の新潟で出走するでしょ」


「ええ」

「見に来ない?」


「何でですか? 今さら勝てるとは思えませんよ」

 それが正直な圭介の感想だった。


 何しろ昨年の10月に福島競馬場で、やっと3歳未勝利を勝ってからというもの、ミヤムラジョオウはひたすら負け続け、もうかれこれ10連敗くらいはしていたのだ。


 もう「競走馬としての上がりは来ない」とすら圭介は思っていたし、この年4歳になっているミヤムラジョオウはそろそろ結果を残さないと、立場が危うくなる。


「彼女はきっと勝つよ」

 いつになく、はっきりと宣言する美雪を、圭介は訝しみ、


「何でそんなことがわかるんですか?」

 と当然のように、問いただしていたが、彼女は笑いながら、


「まあまあ。見に来ればわかるよ」

 とだけ告げていた。


 仕方がないので、圭介は相馬に飛行機の手配を依頼し、せっかくなので、美里も連れて3人で、新潟へ向かった。


 新潟競馬場のダート1800m。左回りで、高低差がほとんど無い平坦なコースだ。


 直線はダートでは長めの約350mあるが、坂が無い為、逃げ・先行の方が有利な傾向にある。これはコーナーがキツめで、4つ回る事も影響していると思われる。


 スタートしてから最初のコーナーまでかなり距離がある為、本来なら内枠有利になりそうだが、内外の有利差はほぼ皆無と言える。


 そして、この重馬場も影響して、「先行」の方が圧倒的に有利になる。


 新潟競馬場のパドックで、彼らは坂本と会う。


「来たね、オーナーくんたち。見てよ、ミヤムラジョオウは調子良さそうだよ」

 そう言って、彼女が指さした先に、ジョオウがいた。


 ミヤムラジョオウは、このレースで4枠7番、1番人気で、単勝オッズは1.4倍。どうもこの前のレースで2着と健闘したことから、評価が上がっているらしい。馬体重は464キロで増減なし。

 スポーツ新聞と競馬新聞の馬柱を見ると、いずれも複数の◎印がついていた。期待値は高いらしい。


「しかし前回勝った時は、後方から差しましたよね。先行有利と言われるこのレースでは難しいのでは」

 前回勝ったレース、つまり1年近く前の2002年10月5日の福島競馬場での未勝利戦。


 そこで確かにミヤムラジョオウは初勝利を挙げていたが、その時のレース展開では、後方から走り出し、2コーナーを回った辺りでは、先頭まで10馬身も引き離されていたことを圭介は思い出していた。


「それは関係ないよ」

「どうしてですか?」


「ミヤムラジョオウは成長したんだ。あの馬は頭がいい。レースがどういうもので、どうすれば勝てるかを学んだ気がする。つまり」

「つまり?」


「彼女の得意な脚質が『追い込み』だけとは限らないと言うことさ」

 と、自信満々の美雪に、疑問を呈したのは、美里だった。


「でも、この重馬場ですよ。先行有利ですし、いくら1番人気でも不利なのでは?」


 それに対し、美雪も、そして意外なことに相馬もまた、異議を唱えた。

「関係ないね。むしろダートなら重馬場の方が有利かもしれない」

「俺もそう思います。この馬はダートの方が力を発揮するんです」


 実際に、ミヤムラジョオウはダートでも芝でも走ってきたが、ダートの方が成績は良かったのだ。


 そして、馬主エリアに美雪を招待しつつ、そこからレースを観戦することになった。


 発走時刻は13時20分。土曜日の昼下がりの新潟競馬場。しかし、この日は大きなレースがないため、場内は閑散としていた。


 そんな中、スターターが旗を振り、レースが始まる。


「スタートしました。まず飛び出したのは……」

 先行したのは、3番人気の馬だったが、ミヤムラジョオウはそのすぐ後の3番手あたりを追走していた。


(先行勢に食い込んだ。悪くない)

 位置的には、2番手に近い位置で、逆に4番手とは離れていた。


 つまり、先行する3頭の中に食い込んだ形になる。


 新潟のダート1800mは、左回りでコーナーを4つ周り、再度スタート地点に戻って来て、スタート地点を通り過ぎ、1コーナー前のゴールに至る。


 しかし、その日のミヤムラジョオウは様子が違っていた。


 1コーナーを周り、2コーナーを周り、3コーナーを回っても、脚色が衰えず、先行勢に必死に食らいつく。

 おまけに、全体的に展開が速いレースだったにも関わらず、彼女は懸命に走っていた。


「残り600mの標識を通過」

 固唾かたずを飲んで見守る中、彼らはそこに、「可能性の一端」を見出すことになる。


「さあ、4コーナーを回って、先頭は依然として……」

 この頃になると、先頭は5番人気の馬に変わっていた。


 しかし、ミヤムラジョオウは相変わらず3番手を追走。がっちりと好位をキープしていた。


 そして、実況中継の声と共に、彼女が動き出していた。


「残り300m。外から抜け出したのは、ミヤムラジョオウだ」


(おおっ)

 思わず、圭介は身を乗り出していた。


 かつて、自分の所有する馬で、興奮したことはほとんどないのだが、このレースの彼女は違って見えた。


 大外に持ち出し、一気に加速。2番手には残り200mあたりで追いつき、さらに、

「残り100m。大外から凄い勢いで突っ込んでくるのはミヤムラジョオウ!」

 ゴールまでの残りわずかでぐんぐん加速し、一気に先頭を捕らえた。


「そのままかわして、ゴールイン! 見事な差し切り勝ちです!」

 見事に、1着に輝いていた。


 乗っていたのは、中堅の騎手だったが、リーディングではそこそこ勝っている騎手だ。


「だから言ったでしょ」

 勝ち誇るように笑顔を見せる美雪に、


「凄いですね、美雪さん」

 圭介は素直に驚いていた。「慧眼けいがん」と言うべきか。彼女の言ったことで、今まで「外れた」ことがほとんどないのが、すでにそれを証明していた。


「まあ、凄いのはあたしより、ミヤムラジョオウだよ」

 と切り出し、彼女は、この先の展望を独自に述懐し始めた。


「選ぶのは、オーナーくんか調教師だろうけど、あの馬はダートの方が強いね。脚質も自在だし、能力はあると思うよ。もっとも、本格的に成長するにはもう少し時間がいるね」

 その一言が、馬主としては何よりも嬉しいものだし、彼女の相馬眼は不思議と信頼できると、圭介は感じ取っていた。


 新潟競馬場において、ようやく「2勝目」を勝ち取った4歳のミヤムラジョオウ。

 獲得賞金は、750万円を超えた。


 同時に、子安ファームにとって、初めての「700万超え」になった。

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