第36話 名は体を表す
同年8月。
圭介は、盛大な溜め息を、子安ファーム内の執務室でラジオを聴きながら突いていた。
ラジオの競馬実況中継からは、1着の馬の名前が高らかに告げられていたが、その名前は、子安ファームの所属馬とは全く関係のない物だった。
「しかし全然勝てんなあ、シャチョウとオジョウ」
そう、嘆きの声を上げて、机に突っ伏す圭介。
すでに、ミヤムラシャチョウとミヤムラオジョウはデビューしてから1年が経ち、ミヤムラオジョウがかろうじて未勝利戦を勝って、次の500万下クラス(現在の1勝クラス)になっただけ。
ミヤムラシャチョウに至っては、走っても走っても一向に1勝もできていなかった。
一応、出走するだけで、馬主にはある程度の金額が入るが、明らかに赤字だった。
「変な冠名つけるからよ」
同じく執務室で、仕事をしながらラジオに耳を傾けていた美里が、毒づくが、
「まったくだ。誰だよ、こんな変な冠名考えたのは」
「あんたよ!」
盛大にボケをかます圭介に、彼女は思わず突っ込んでいた。
溜め息混じりに、美里は口を開いた。
「あのねえ、圭介。来年デビューする予定の、キティホークの2002とサクラノキセツの2002くらいは、せめてちゃんとした名前をつけてあげたら?」
美里の言うことは間違いではなく、実はこの年、2003年にはデビューする馬自体が、この牧場にはいなかった。
つまり、2001年産まれの幼駒が、存在しないからだ。その代わり、目下では2002年産まれの上記の2頭を鍛えているが、まだ名前すらついていなかったし、そのうちの1頭のサクラノキセツの2002にいたっては「パンツ」という不名誉な仮称がつけられていた。
圭介は、美里に言われて考えていた。
(なるほど、一理あるか。じゃあ、冠名をやめてみようか)
彼はそう思い立ち、美里にある提案をするのだが。
これが間違いの元だった。
「じゃあ、牡の方はやっぱパンツダイスキ……」
言いかけて、物凄い眼光で睨まれていることに圭介は気付いて、
「というのは冗談で」
と、言い直し、
「とりあえず、牝の方はエンジョコウサイでどうだ?」
明るい声で口に出した途端、
―ゴン!―
美里に思いっきり足を蹴られていた。
「痛っ!」
声を出す圭介に、美里は、
「真面目に考えなさい!」
吠えていた。
「真面目に考えてるだろ」
と、うそぶく圭介に、美里は、ある「真実」を語り出した。
「じゃあ、聞くわ、圭介。今までの競馬の歴史の中で、『変な名前の馬』がGⅠを勝ったことがあると思う?」
「……確かにないな」
悔しいと思いながらも、圭介は自らの記憶を探り出す。確かにそんな変な名前の馬がGⅠを勝ったのを圭介は見たことがなかったし、記憶にもなかった。
「そういうことよ」
「しょうがないなあ。じゃあ、牝の方はお前が決めろ」
「えっ、私が?」
突然、振られた美里が戸惑いの表情を見せるが、圭介は、
「ああ。そう言うからには、いい名前をつけれるんだろうな」
と、妙にニヤニヤしてプレッシャーをかける。
苦虫を嚙み潰したような表情の美里が、しばらく考え込んでいたが、やがて、
「じゃあ、ミヤムララベンダーで」
と言い出したため、圭介は毒づいていた。
「安直だな。北海道だからラベンダーか。っていうか、お前、そんなにラベンダー好きだったっけ?」
「いいじゃない、別に! 彼女は特別なの!」
キレ気味に、自らの主張を押し通そうとする美里に、圭介は、彼女のお気に入りがこのキティホークの2002だということを改めて思い直し、
「まあ、それでいいや」
と投げやりに呟いていた。
「適当ね。じゃあ、牡の方は? 言っておくけど、ふざけた名前つけたら、許さないわよ」
怖い顔で、圭介を睨みつける美里に対し、圭介もまた思うところがあった。
「……ミヤムラって冠名が良くないな」
「あんたが決めたんでしょ!」
「コヤストツゲキオーで、どうだ?」
「今さらコヤス? 3文字はしっくり来ないとか言ってなかった?」
「昔のことは忘れたよ」
「ホンッとに適当ね。まあ、パンツよりはいいわ」
ということで、あっさりと馬の名前が決まっていた。
美里が推していた、キティホークの2002は「ミヤムララベンダー」、圭介が推していた、「パンツ」ことサクラノキセツの2002は、「コヤストツゲキオー」となる。
1歳の彼らは、これから1年後のデビューに向けて、みっちりと牧場で調教に入る。
そして、相変わらず、子安ファームの馬は全然勝っていなかった。
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