第64話 スプリンターの兆候

 ようやくコヤストツゲキオーで、初の重賞勝利を果たし、資金的にも多少余裕が出来てきた子安圭介は、上機嫌だった。


 福島から北海道に戻る飛行機の機内で、

「やっぱコヤスって冠名の方がいいんだな。ミヤムラの名を冠する馬が全然勝ってないじゃないか」

 と、得意げに口を開いていたが、隣に座る美里が、


「あんたが勝手に決めたんじゃない。嫌なら、ミヤムラの冠名外せばいいでしょ」

 と口答えするように不満を漏らしたが、圭介は首を横に振った。


「嫌だね」

「どうしてよ?」

 ミヤムラの冠名にこだわる圭介の心中が、美里にはわからなかったが、彼は、


「言ったろ。俺が好きな馬の冠名は『4文字』が多いって」

「だからって……」

 不服そうな美里に、反対の席から声を上げたのは、相馬だった。


「そんなことないですよ、姐さん」

「相馬さん。どういうことですか?」


「ミヤムラの冠名を持つ馬が、いずれ重賞を勝つってことです」

 まるで予言めいたことを口走る彼に、圭介も美里も半信半疑だった。というより、彼が本当に「相馬眼」を持っているのかすら怪しいからだ。


 ところが。


 そこから先、まさに「ミヤムラ」が世を席巻することになる。


 まず、手始めに世間をあっと驚かせた馬がいた。


 ミヤムラオペラだ。


 かつて、種付け料がたったの100万円の父・スピットファイアと、母・サクラノキセツから産まれた、大柄な牝馬だ。


 色は青鹿毛。特徴は「大作だいさく」と呼ばれる、顔面に広がる白く大きな模様だった。


 このミヤムラオペラを殊の外可愛がったのは、厩務員筆頭にして、牧場長の林原真尋で、常々、


「オペラちゃんはすごいよ」

 と、自慢げに夕食時に圭介に報告してきたことがあった。


 それによると、彼女は、

「体が丈夫で、頭がいいし、何より負けず嫌い」

 なんだという。


 事実、牧場で調教をしても、他の馬に負けないように、力いっぱい走り出すし、牡馬にすら負けていなかった。


 その期待の牝馬が、この夏、栗東の立木厩舎からデビューすることになった。


 2006年8月19日(土) 小倉4Rレース 2歳新馬戦(芝・1200m)、天気:曇り、馬場:重


 2歳牝馬とはいえ、このレース自体、牡牝混合で、牡も牝も関係なく出走するが、それでも全11頭のうち、牝はミヤムラオペラを含めて3頭と少数だった。


 そのうち、ミヤムラオペラは、単勝8.2倍の3番人気で、6枠7番。

 ちなみに1番人気は、実は別の牝馬だった。


 だが、ミヤムラオペラの馬体重は、実に488キロもあった。全牝馬の中で最も重く、全頭を通しても2番目に重い。まさに「大柄な」体格の彼女。


 騎手は、ヴィットマンを見事に導いている、栗東所属の池田騎手だった。


 当時、まだインターネットによる動画配信はなかったため、もちろん子安ファームの面々は執務室に集まり、ラジオの前で待機する。


 さすがに、九州の小倉まで行くつもりはなかったからだ。


 小倉競馬場、芝1200mは、 2コーナーポケットからのスタートで、3コーナーまでの直線距離は479m。コース最高部からのスタートして、すぐに下りとなるためスピードが出やすく、テンの3ハロンは非常に速いと言われる。


 また、3~4コーナーもスパイラルカーブで下りとなっているためスピードが落ちない。このため絶対的なスピードに加え、コーナリングの巧さも要求される。


 基本的にはスピードが落ちないコース形態から、逃げ・先行馬が有利なのだが、馬場が荒れてきて前半が速くなりすぎた時は先行馬総崩れで差し馬の台頭の可能性もある。開催の前半と後半では好走脚質が大きく異なることも多い。


「スタートしました」

 新馬戦自体が、さほど注目を浴びることはないので、ラジオ中継でもあっさりと始まってしまう。


「まず先手を取ったのは……」

 スタートからしばらくは、池田騎手が抑えるような競馬をしているのか、ミヤムラオペラは中団のやや後方辺りに位置していた。


 1200mは、競馬においては、かなりの短距離で、それこそ人間の陸上競技で言えば、100m走や200m走に感覚が近い。


 その短距離走において、子安ファームの所属馬では、見たこともない動きを彼女は披露した。


 1コーナーから2コーナーまで速い展開で進むが、この時、前日の雨により、重馬場となっており、つまりは芝が「荒れて」いた。


 それが幸いし、先行勢の勢いにかげりが見えたのが、3~4コーナーのスパイラルカーブで、まさにセオリー通りの「馬場が荒れてきて前半が速くなりすぎた時は先行馬総崩れで差し馬の台頭の可能性もある」状態になったのが、幸運だった。


 逃げ・先行勢が衰え、その隙間を縫うように、最終の4コーナーを回った辺りから、一段、ぐんっと伸びてきた馬がいた。


 ミヤムラオペラだ。


「さあ、最終コーナーを回って、直線コースに入る。先頭は……」

 実況が告げた時、すでに彼女は先行勢に食い込んでいた。


 馬場が荒れている内埒うちらち沿いを避け、外に走っていた。

「外からまくって上がってきたのは、ミヤムラオペラだ」


 ラジオという形態である以上、その場にいた、誰もが「想像」するしかないのがもどかしいのだが、そこから彼女の末脚が発揮された。


「そのまま先頭に迫る。残り200m」

 ここの最後の直線は、約291m。地方競馬場とはいえ、短い。


 勝負は一瞬の判断によって変わる。

「ミヤムラオペラ。凄い脚で迫る!」

「残り100m!」


(行け!)

 内心、圭介も期待はしていたが、声には出していなかった。


 そのまま見守っていると、

「外から切れ味鋭い脚でミヤムラオペラだ! 今、ゴールイン!」

 最終的に1番手をかわして、見事に1着になっていた。


「さすがオペラちゃんだね!」

 誰よりも一番喜んでいたのは、彼女を育て、毎日のように報告してきた真尋だった。


「ですね。頭のいい馬です」

 と、相馬。


「美里。だから言っただろ。ミヤムラって冠名はいいって」

 圭介が美里に笑顔を見せるものの、彼女自身は、


「べ、別に悪いって言ってないけど、何だか恥ずかしいんだって」

 と、照れ臭そうに顔を逸らしていた。


 とにかく、ミヤムラの冠名を持つ馬が再度、勝つことにはなったが、重賞制覇についてはまだだった。


 しかし、彼らにとって「追い風」が吹いているのは間違いなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る