第58話 リーダーの素質とは?

 菊花賞が終わった後。


「クソっ!」

 という、罵声を上げていたのは、近くにいた山寺久志だった。


 その声に驚き、圭介が目を向けると、彼と目が合っていた。

 気まずい雰囲気が流れる中、その山寺久志が、何とも形状しがたい、渋柿のような表情で近づいてきた。


 そして、

「ふん。たまたま2着になったくらいでいい気になるなよ。所詮、お前らだって、イーキンスに負けてるんだ」

 いつものように、捨て台詞を向けてきたが、その表情はいつものように強気な空気には包まれていなかった。


「あら、山寺さんじゃない。ウチのヴィットマンに、ヤマデラファイアの馬主の」

 一方、あからさまにニヤニヤして、明らかに相手を挑発するように、笑みを見せていたのは美里だ。


「この野郎、調子に乗るな」

「煽るな、美里」

 さすがに言葉が過ぎるというか、すでに山寺が怒りだしていたので、慌てて圭介が止めた。


 彼は、なんだかんだで、争いを好まない平和主義者な部分があった。


「いや、ヤマデラファイアもいい馬ですよ。なかなかいい勝負だったと思いますけどね」

 険悪な空気を和らげる一言を発したのは、意外にも美雪だった。


「ははは、当然だろ。ヤマデラファイアは強い。何しろあの馬はな……」

 上機嫌になった山寺は、その後、ヤマデラファイアの良さをいくつか一方的に語って、去って行った。


 その背を眺めながら、

「坂本さん。あんな野郎、いちいちフォローしなくていいですって」

 と美里は不服そうだったが、圭介は、


「お前もお前だ。いちいち煽るな、めんどくさい」

 と、美里をたしなめていた。


 菊花賞で2着。それでも色々と合わせると、合計で約8000万円は馬主に入る計算になる。


 普通なら喜ぶべきところだが、圭介は「沈んで」いた。


(やっぱり勝てなかったか)

 という思いが強いからだ。


 帰りの飛行機の中で、隣に座った美里は、

「何で、あの成績で暗い顔してんのよ?」

 と、彼を気遣うように声をかけていた。


 一方、相馬は逆隣の席で、競馬新聞を頭に乗せたまま寝ていた。

「そりゃ、暗くもなる。あとちょっとでGⅠに勝てたのに悔しいしな。俺には馬主として、リーダーの素質もないんだろうなあ」

 いつになく、暗く沈む彼に、しかし相棒とも言える彼女が放った一言が、圭介には意外な言葉だった。


「そんなことないと思うけどな」

「そんなことあるんだよ」


「じゃあ、聞くけどさ。あんた、リーダーの素質って何だと思う?」

「さあ。いきなり聞かれても」


「私は、リーダーの素質って、『明るさ』だと思うのよね」

「明るさ?」


「そう。どんな時でもリーダーは明るくないとダメ」

「それはただのバカじゃないのか?」


 首を振る美里。彼女は続けた。

「違う。考えてもみて。リーダーが暗かったら、誰もついて来ないでしょ?」

「そうか? 無口でも常に熟考するリーダーみたいでついて行くんじゃ?」


「じゃあ、あんたが好きなミリタリーに例えるわ。一軍の将が戦争で負けそうな時、あるいは負けた時。大将が暗い顔をしてたら、部下の兵士は何て思う?」

「さあ」


 美里は急に、いつもは作らないような、子供をあやす母親のように柔らかい笑顔を向けて、続きを呟いた。

「『こいつ頼りないな。こんなのに従ってて、俺たち大丈夫か?』 って思うわけ。だから、リーダーは常に明るくないとダメなんだって。部下はリーダーが思ってる以上に、リーダーをよく見てるものなの」

「な、なるほど」

 圭介は珍しく、リーダー論を語る相棒に少しだけ感心しながら耳を傾けていた。


「あんたは、バカかもしれないけど、明るい。常に楽しそうに馬主業をやってる。だからいいんじゃない」

「ああ、そうか。落ち込むなんて俺らしくないか。ってバカは余計だ」


「ああ、ごめん」

「よし、わかった。じゃあ、明日からまたがんばるか」

 そう言って、笑顔を見せる圭介に、美里は微笑みながらも、内心、


(ああ、もう。世話が焼けるな)

 と思っているのだった。


 こうして、彼らのクラシックは幕を閉じる。



 帰郷後。


 実は、その年、彼らが密かに期待を込めていた、1頭の馬が新馬戦に出る。


 グデーリアン。


 ヴィットマンの一つ下の世代で、同じく相馬が「閣下」とあだ名をつけ、ヴィットマン同様に期待をしていた牡の黒鹿毛くろかげの馬。


 すでに、ヴィットマンと同じく、栗東の立木厩舎に預けていたが、脚の怪我のため、デビューが遅れていた。


 それが11月19日、京都競馬場でようやくデビューとなったが。


 2004年11月19日(土) 京都5Rレース 2歳新馬戦(芝・1400m)、天気:晴れ、馬場:良


 その新馬戦。

 ラジオで聞いていると、このグデーリアンが、実にあっさりと負けていた。


 新馬戦で、勝てない場合、当然、未勝利戦に移行する。期待を込めていた割には、彼は新馬戦で13頭中、5着だった。


「伸びしろはありそうに見えたんですが」

 と、彼を「閣下」と呼んでいた、相馬が悔しがっていた。


 正直、圭介の目にはグデーリアンは未知数に映っていた。


 その年も結局、重賞を1度も勝つことなく、子安ファームは年末を迎えたが、少なくともヴィットマンのお陰で、お金だけはそこそこ入ってきたのだった。


 そして、2006年を迎える。

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