第8話 500万円の代償

 いよいよ4人体制で、本格的にオーナーブリーダーとして始動すべく動き出す子安圭介だったが。


 まず問題となったのは、「施設」そのものだった。


「オーちゃん。厩舎が雨漏りしてるよー」

「オーナー。サイロに穴が空いてます」

「放牧地も柵が崩れてたり、雑草でぼうぼうの状態ね」

 真尋、結城、そして美里。


 それぞれが訴えてきた。


 オーナーである圭介自らが見て回った。


 その結果。

 厩舎は広いし、確かに冬季に使える暖房設備まであったが。老朽化がひどく、真尋の言う通り、穴が空いて雨漏りをしていた。


 サイロも古く、天井に小さな穴があり、側面の壁も今にも崩れそうなくらい老朽化していた。


 放牧地も、一部、柵が崩れていたり、雑草が生えており、このままでは使い物にならない。


 早い話が、

(一杯食わされたな)

 という状態であり、後で知ったことだが、通常、これだけの設備・施設を500万円で譲渡することが非常識と言える。


 相場的には数千万円はするし、億単位でもおかしくない。


 つまり、

ていのいい在庫処分か)

 に近い状態で、格安で廃棄処分を丸投げされたに等しい。


(仕方がない)

 不本意ではあったが、圭介は業者を呼び、修繕を開始。


 各種の穴を塞いでもらった。

 放牧地に関しては、自らスタッフを先導し、丁寧に補修し、雑草を刈り取った。


 そうしているうちに、あっという間に4月は過ぎていった。


 5月。

 ようやく、北の大地、北海道にも「遅い春」が訪れる頃。


「年間スケジュールを用意したわ」

 秘書とも言える、美里がまたノートを持ってきた。


 一応、オーナーの実務をこなす部屋を用意した圭介が目を通す。


 そこにはおおまかな馬主業の年間スケジュールが以下のように書かれてあった。


1月 種牡馬しゅぼばのセール

4月 種付けした馬の誕生の立ち会い

5月 繁殖牝馬はんしょくひんばの種付け

7月 当歳(0歳)馬、1歳馬のセール

10月 繁殖牝馬のセール

7~12月頃 2歳馬のデビュー

随時 繁殖牝馬、種牡馬、幼駒ようくの譲渡。所有競走馬の出走ほか

その他 調教師厩舎への移管、担当騎手の選定及びエージェントへの依頼など


 多少の月の移動はあるが、概ねこのようなスケジュールで推移することが多いという。


 そして、目下の問題は「馬がいない」ということに尽きる。


 そのため、圭介は美里に尋ねていた。

「馬はどうやって手に入れる?」

 と。


 賢い美里はすでに事前に調べてきており、答えを持っていた。

「現状では2つのパターンがあるわ。一つは7月のセレクトセール、つまりセリで落札すること。もう一つは、競馬関係者から買うこと」


「どっちも金がかかるな」

「そりゃ、そうよ。セリには当然、他の馬主が出てくるから、資金力が物を言うわ。一方、関係者から買うと言っても、零細のウチにわざわざ貴重な馬を譲ってくれる奇特な馬主がいるとはとても思えない」


(前途多難だな)

 文字通り、頭を抱えてしまう圭介に対し、美里は強気に発言をした。


「どのみち、馬を手に入れないと話にもならないわ。だから多少の出費は覚悟すること。その出費が後で、何十倍にもなって返ってくると思うしかないわね」

 内心、わかってはいたものの、いざとなると浮足立って、なかなか動き出せない。そんな圭介の性格を、美里は読んでいた。


 いざとなると、男より女の方が、度胸があることが多い。


 当面の目標は、7月のセレクトセールに決まった。そこで幼駒を落とすしかない。


 だが、その前に大事なことを忘れていたことに、美里は気付いた。

「そう言えば、この牧場の名前は?」

 そう。まだ名前すらついていなかったのだ。


 これでは「箔がつかない」上に、不便で仕方がない。


「子安圭介と愉快な仲間たち牧場」

「長い。却下」


「何でだよ? お前に拒否する権利はないぞ」

「嫌よ。呼びにくくて仕方ない」


 考え込むかと思った美里の予測に反し、圭介は代案をさっさと決めてしまう。

「じゃあ、子安ファームでいいよ」

「相変わらず適当ね。わかった」


 正式名称「子安ファーム」。2000年5月始動。


 前途多難なオーナーブリーダー生活が始まる。

 まだ22歳の子安圭介、同じく宮村美里、18歳の林原真尋、そして20歳の結城亨。

 まるで大学生のサークルの合宿のような雰囲気だが、ここからが彼らのスタートだった。


 季節はゆっくりと流れゆき、彼らはこの子安ファームに競走馬を迎える準備を着々と進めることになる。

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