第12章 夢を乗せて走る馬

第86話 AJCCとジョオウの引退

 かつて、セリで落札し、美里から「中二病」のようだと言われていた馬、アドミラルヒッパー。


 しかしながら、彼は新馬戦からつまずき、なかなか勝てずにいた。


 相馬が「4歳か5歳になったら勝てるようになるはず」と告げていた、その4歳になったばかりの頃。


 ようやく彼はオープンクラスで、力を発揮することになる。


 2008年1月27日(日) 中山11Rレース アメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)(芝・2200m)、天気:晴れ、馬場:良


 新聞の紙面では、「AJCC」、「AJC杯」、中央競馬界では「アメリカJCC」という表記も用いられることがあるレースで、1960年から続く、歴史と伝統ある、サラ系4歳以上のレースだった。


 しかしながら、この時、圭介は仕事が忙しい関係で、中山競馬場まで行けず、代わりに相馬と結城だけを行かせることにした。


「いい、結城さん? 相馬さんが絶対に賭けないように見張っててね」

 と、言わば美里から「お目付け役」を任される形になった、結城は渋々ながらも、相馬と飛行機で成田空港に飛んだ。


 圭介と美里は、職務をこなしながらも、執務室のテレビで観戦する。


 中山競馬場、芝2200mは、直線の入り口がスタートで、1コーナーまでの直線距離は432m。外回りコースを使用するため、2コーナーまでは緩やかなカーブ。また、4コーナーまでも緩やかなカーブを描くコースで平均ペースになりやすい。


 向こう正面の下りも手伝って、道中のペースが落ちないため、3コーナーからの仕掛けが重要なポイント。まくりも度々見られる。脚質的には先行馬が有利とされる。最後の直線は310mと短いが、クラスが上がるにつれて逃げ切りは難しくなる。また、直線一気も難しい。末脚の持続性、すなわちスタミナと底力が要求されるコースと言える。


 アドミラルヒッパーは、単勝6.0倍の2番人気。前走は、オープン特別競争だったが、1着になっていたことからの期待値が含まれていた。


 圭介は、このレースをきっちり見ようと思っていたが。


 ファンファーレが鳴って、ゲートが開いて、出走直後。


 彼の携帯電話が鳴り、慌てて電話に出ていた。

「はい」


「お仕事中にすみません」

 相手は、世話になっている日高の牧場関係者だった。


 しかし、何もこんなタイミングでかけてこなくてもいいのに、と圭介は内心、思っており、タイミングが悪いと思いつつも、目はテレビ、耳は電話に集中していた。


 見ると、アドミラルヒッパーは先行勢に食い込んでいた。


「子安さん。すみません。牧場についての相談なのですが……」

 返事を返しながらも、圭介は画面に移る、黒鹿毛の馬に視線を集中させていた。


 そのアドミラルヒッパーは、最後の直線から、末脚を発揮して、外から逃げ馬を追い込んでおり、最終的にはかわして、先頭でゴール板を通過していた。


「よし、勝った!」

 テレビの画面では、アドミラルヒッパーが先頭をかわして、見事に1着でゴール板を駆け抜けているシーンが映った。


「えっ」

「あ、すみません。こちらの話です」


 その後、ようやく耳に集中して詳しい話を聞くことになった。


 さらに、夜になると、今度は、美浦の関調教師から電話がかかってきた。

「はい」

「関です」


 アドミラルヒッパーは、関西の栗東、立木厩舎に預けていたから、美浦所属の関はこのレースに関わりがなかったとはいえ、調教師にとっても何かと忙しい日曜日。恐らく管理馬のレースが終わって、競馬場を出てからかけてきたのだろう。

  

「お疲れ様です」

「ミヤムラジョオウのことですが」

「はい。ミヤムラジョオウが何か?」


「地方で頑張ってましたが、さすがにそろそろ上がり目がなくなってきました。引退させようと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 関調教師は、フレンドリーかつ丁寧な人だから、わざわざ確認の電話を必ず入れてくる。もちろん、本来それが正しいのだが。


「残念ですが、仕方がないですね。これまでがんばってくれました」

「それでは、引退の手続きに入ります。それと、引退後の繁殖牝馬についてですが……」


 結局、その後、圭介は、調教師の関と話し合って、ミヤムラジョオウの引退式をやること、その後、優秀な成績を収めたことから「繁殖牝馬」となることなどが告げられていた。


 そして、圭介は、彼女を牧場で引き取ることを決断する。


 ミヤムラシャチョウやミヤムラオジョウは全然活躍せずに引退したが、ミヤムラジョオウは中央の重賞を1つだが、勝っているし、GⅠのフェブラリーステークスで3着という好成績を収めていた上、実は地方の重賞も1つ勝っていたから、繁殖牝馬としての期待値もそこそこ高かった。

 何より、子安ファームで、「最初に」手に入れた、思い出深い馬だ。


 とんとん拍子に話が進み、翌週。


 彼女は馬運車に乗って、子安ファームに戻ってきた。


 その馬運車が牧場に着いた途端、駆けだしていたのは、真尋だった。

 車の荷台から降りてきた、栗毛の綺麗な馬の首に彼女は抱き着いていた。


「おかえり~。またよろしくね、ジョオウちゃん」

 心底嬉しそうな笑顔を浮かべる彼女、そして心なしか嬉しそうに目を細めているようにも見えるミヤムラジョオウを見て、圭介は心が落ち着くような、癒されるような気持ちになる。


 父は、ゴーマイウェイ、母は、カスタネットソング。

 零細血統で、たったの250万円で落札した彼女。


 苦労しながらも、7歳でGⅢのシリウスステークスに勝って、一気に株を上げ、8歳でGⅠのフェブラリーステークスでは、まさかの3着になり、「歴史を創った」。さらに8歳時には、地方のダート戦にも出て、重賞を1つ勝っていた。


 ミヤムラシャチョウやミヤムラオジョウは、種牡馬や繁殖牝馬としては、全く期待ができなかったのに対し、彼女はまだ「活躍の場」があるのだ。


 こうして、「ダートで」活躍した、ミヤムラジョオウが引退し、正式に繁殖牝馬となる。


 一方、2月に行われる、フェブラリーステークス。今年注目されていたのは、2頭の馬で、1頭は子安ファーム所属で、昨年のジャパンカップダートで「牝馬初の優勝」を果たした、ミヤムラジョケツ。

 もう1頭は、長沢春子が所有する、ミヤムラジョケツのライバル、ナガハルダイオー。


 2頭とも期待値が高く、オッズも高い物だった。どちらも単勝オッズが一桁で、ミヤムラジョケツは1番人気、ナガハルダイオーは3番人気。


 しかし。

 勝ったのは、全然別の4番人気の馬で、両者共に勝てないどころか、掲示板にすら乗らない惨敗。

 ミヤムラジョケツは、10着。ナガハルダイオーは8着。


 ちなみに、このレースを制したのは、ベテランの6歳の牡馬で、圧倒的なレースを展開し、レコードタイムを刻んでいた。


 競馬とはわからない物なのだ。


 そして、いよいよ3月。

 慎重にクラシック戦線への道を探っていた、関厩舎。ミヤムラシンゲキオーの次走が決まった。


 ライバルのナガハルホクトオーが出走する弥生賞を避けるように、彼はスプリングステークスに出走することになる。


 勝てば、デビュー以来、無傷の4連勝となる。

 進撃王の伝説が更新されるか、期待がかかるが、運が悪いことに、同日に重要なレースに出走する、所有馬がもう1頭いた。


 ヴィットマンだ。

 昨年12月にステイヤーズステークスを制し、ようやく重賞を勝った彼は、陣営の選択で、天皇賞春を目指して動き出しており、阪神大賞典に出走する予定だった。


 それが、スプリングステークスの日程とかぶっていた。

 圭介は、悩むこととなる。


(どっちも見たいが)

 と。


 そこで、提案をすることになる。

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