第6話 マーちゃん登場

 彼らがまず実施したこと。

 それはそれぞれの札幌の家を引き払うこと。


 一旦、圭介の車で札幌に戻り、三石町の牧場への引っ越しを決意する。

 幸い、前オーナーが住み込みで使っていた建物が残っていた。


 一軒家だが、部屋数が多く、個室を使えば、10人くらいは住めそうな広さがあった。建物自体、老朽化していなかったから、ここは改装の必要もなかった。


 そして、1週間後。

 4月になって、ようやく二人の引っ越しが完了する。


 なお、宮村美里は、「秘書」的な立場で、オーナーブリーダーというより、まだ馬主状態の子安圭介をサポートすることになった。


 同じ家で同棲状態になるが、圭介はもちろん、

「部屋はもちろん別々、ご飯は交代で作ること!」

 美里に厳しく言いくるめられていた。


 さらに数日後。


 美里が、約束通り、従妹の女の子を連れてきた。一応、「厩務員きゅうむいん」、つまり将来、馬の世話をするべき立場になる女性スタッフ候補としてだ。


 だが。

 一応、美里にも立ち会ってもらうことになり、一軒家のリビングで面接となったが。


「こんにちはー。マーちゃんです!」

 ふざけた挨拶をして現れたのは、ガングロのギャルだった。


 ガングロ。今では死語と化しているが、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、東京の渋谷を中心に流行した。


 当時は「コギャル」とも言われた一種のブームでもあった。


 黒く日焼けした肌に、金髪といった派手な髪色、濃く派手なメイクなどが特徴のスタイルで、目の前に現れた女性は、まさに黒く焼けたような肌に、金髪、想像以上に濃いメイクを施していた。


「じゃ、不採……」

 不採用と言いかけて、立ち上がろうとする圭介を、美里の鋭い声が制した。


「待って。話くらい聞いてあげて」

 渋々ながらも、椅子に座り直す圭介。


(第一、マーちゃんって、何だよ。ふざけてんのか、こいつは)

 最初から、不穏な空気が漂う中、面接が行われた。


 意外なことに、履歴書はきちんと綺麗な手書きの字で書かれていた。


(なるほど。今年、浦河の高校を卒業したばかりのフリーターと。要はプータローだろ)

 なお、浦河町は三石町の隣町だ。

 当時、世相は「就職氷河期」と言われた。


 つまり、このロスジェネ世代と言われる1970年代後半から1980年代前半産まれの世代は、最も「割を食った世代」で、高校や大学を卒業してもまともな就職先がなかった。おまけに同世代の人数が多かったので、就職先の「狭い枠」を巡って争いになり、結果的に「枠から外れる」者が多く、非正規労働者が増加した要因にもなっている。


 まして、北海道という地方は、中央から離れており、東京や大阪よりはるかに「景気が悪い」し、今では信じられないくらいだが、1990年代には最低時給が500円台前半がザラというくらい低かった。


(名前は、ええと。林原はやしばら真尋まひろ。18歳か)


 仕方がない。面接を始める圭介。眼鏡のフレームを持ちあげ、わざとらしく大人ぶって、採用官っぷりを演出した。


「では、林原さん。志望動機を」


(どうせふざけた格好して、ナメた態度で来たんだ。落としてやる)

 と内心、圭介は意地悪く思っていたが。


「はい。私の叔父が大樹たいき町で牧場を経営してるんです。それで10歳の頃、そこに連れて行ってもらって、身内のよしみで、馬のお産に立ち会ったことがあるんです」

 そこから彼女の独演が始まった。


 そこには、それまでのふざけた態度は微塵もなく、真剣な眼差しが、圭介に向けられていた。


「その時の感動が忘れられなくて。馬は臆病で、繊細な生き物なんです。ですから、私の手でそんな馬を立派なサラブレッドに育ててあげたい、慈しんであげたい、とその時から強く思ってました。今回、応募したのは、ミーちゃん、じゃなかった美里さんがこの牧場の秘書になったと聞いて、一生を賭けるに値する仕事と思いましたので」

 真剣な眼差しで、一生を賭ける、とまで言い切った幼い少女、林原真尋。

 とても、18歳のコギャル風少女とは思えない一面を見せていた。


 驚いて、押し黙ってしまった圭介に対し、隣に座っていた美里が、ニヤニヤと気味の悪い表情で、チラチラと横目で彼を見ていた。


 その憎たらしい顔を放置して、彼、圭介は決意する。


「わかった。明日から来てもらう。ただし!」

「はい?」


「とりあえずそのガングロはやめること。ネイルもだ。馬の世話には必要ない」

 厳しく、ビシッと言ったつもりだったが、相手のギャルは、


「はーい。わかりましたー」

 わかったような、わかってないような適当な返事を返すのだった。


(ムカつく女だ。なんかやらかしたら、クビにしてやる)

 内心、そうとまで思っていた圭介だったが。


 翌日、彼女はきっちりとメイクを落として、ネイルもやめ、しかも綺麗な黒髪に戻してボストンバッグ一つで、やって来た。


 一瞬、誰かわからないような少女になっていたが、よく見ると目元が美里にそっくりだった。

 美里ほど長身ではないが、小柄で可愛らしい容姿と言っていい。


 顔が似ているのは、同じ一族の血だろう。


 こうして美里に続いて、2人目のスタッフが加入する。


 ちなみに、

「マーちゃん」

「ミーちゃん」

 と呼び合う仲だという真尋と美里の2人。


 それに対し、

「俺のことはオーナーと呼べ」

 と圭介は偉そうに言っていたが、


「わかりましたー。オーナーちゃん」

「芸能人みたいじゃねえか!」

 怒りを露わにする圭介を、意にも介さず、彼女は首を傾げた。


「んー、呼びにくいな。じゃ、オーちゃんで」

 真尋はこういうところだけはふざけていた。しかも敬語すら使わない。


「誰がオーちゃんだ! 威厳の欠片かけらもねえよ」

「大丈夫。あんたに威厳なんて、最初からないから」

 美里は美里で、辛辣だった。


 こうして、マーちゃんこと、林原真尋が厩務員として加わった。

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