第34話 種付けの行方

 2003年5月。


 今年もまた種付けの時期がやって来た。


 圭介や子安ファームにとって、3度目の種付けとなり、競走馬を生産するオーナーブリーダーにとって、この種付けは非常に重要なのだが。


(金がない)

 というのが、早くも一番の悩みとして、圭介を襲った。


(残金が3000万円弱)

 なんだかんだで、初期投資以外に、牧場の修繕費用や拡張費用、幼駒の買い付け、種付け、繁殖牝馬の買い付け、人件費などで、あっという間に初期金額から目減りしていた。


 そのことを、会計係でもある美里は、もちろん知っていた。


 なので、昨年と同じように、相馬と美里にそれぞれ、種付け対象となる種牡馬を選んでもらう段階で、圭介は二人に、


「今年は500万円以下で」

 と指示していた。


 昨年の上限は1000万円だったが、今年はさらに半減していた。勝てないとジリ貧になるのが、オーナーブリーダーだ。


 早速、2人は昨年と同じように、人脈やツテ、競馬新聞、インターネット情報を駆使して、有力馬を調査してくれた。


 同じように3日後の会合で、発表となる。


「私のオススメは、これね」

 美里が提示したのは、カシャロットと言う名前の馬だった。7歳の馬だ。


「インブリード配合を持っていて、4代前に大種牡馬がいるわ。それに母父ははちちは、クラシックを2つも勝ってるわ。しかもカシャロットは2年前の2001年のGⅠ・マイルチャンピオンシップに勝ってるわ。これで値段300万円はお得じゃない?」

 と去年と同じように、ノートに細かく記載してきた美里の報告書のようなノートを見ていた圭介は、


「悪くはない。だが、このカシャロットは確か怪我が元で引退したんだったな」

 記憶の中のカシャロットを思い出していた。


 美里が言うように、カシャロットは、2001年のGⅠ・マイルチャンピオンシップを1着で勝っているが、その直後に屈腱炎を発症し、あっさりと引退している。というより、元々、体が強い馬ではなかった。


「そうね。確かにあまり体が強くないから、安いのかもしれない。でもいい馬よ」

 と、推してくる美里。


 対して、圭介は、相馬に話を振る。


「俺のオススメは、こいつです」

 彼が競馬新聞を開いて、薦めてきたのは、スピットファイアという名前の8歳の馬だった。


「インブリードはありませんが、母父ははちち父父ちちちちも、優秀な成績を収めてます。そのいずれもがマイル、スプリント戦線で優秀な成績を残し、スピットファイア自身が1999年のGⅠ・スプリンターズステークスに勝ってます。それに何よりも……」


「スーパーマリン スピットファイア。第二次世界大戦における、イギリス空軍が誇る名機ですね。イギリスをドイツから守った『救国戦闘機』とも言われている、か」

「ええ。その名前は伊達じゃありません。値段は破格の100万円。どうですか?」


 2人で、第二次世界大戦の談義を始めたため、美里は呆れたように両手を挙げて、

「まーた、始まった。軍事オタクめ」

 と毒づいていたが。


 正直、圭介自身は悩んだ。

(マイルか、スプリントか。どっちも悪くない。そもそもカシャロットも第二次世界大戦のアメリカの潜水艦の名前だし……)

 と、ある意味、どうでもいいことで悩んでいたのだが。


「ここはカシャロット一択よ!」

「いいえ。スピットファイアです」

 と、迫る2人に決断を促される。


 仕方がないので、圭介は、

「どっちもどっちだが、怪我の可能性を考慮して、スピットファイアにする」

 と言い放つと、美里は、


「またなの。去年も相馬さんの方を選んだよね」

 と眉間に皺を寄せて睨んできた。


 圭介は、

「別に他意はない」

 と言いながらも、


「出来るだけ丈夫な馬の方が、産まれた仔や真尋のことを考えるといいだろうというだけだ」

 と返していた。


 美里は、渋々ながらも了承した。


 こうして、スピットファイアと、サクラノキセツの種付けが行われることになる。もし、ここで受胎しなければ、次の策として、カシャロットが用意された。


 もっとも、常に金欠のこの牧場にとっては、不受胎というだけで、余計に金がかかるから、圭介としては避けたかった。


 幸い、このスピットファイアとの種付けが成功し、サクラノキセツはまた受胎することになった。

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