第4話
どうしてこんな言い合いになってしまったんだろう。
気になる人ってこと自体が嘘だった。でも今は本当に気になっている。気になる人が目の前にいるんだから、嬉しいに決まってる。
「及川、痴話喧嘩なら外でやれや。それとな、話が聞こえたから言うけどよ。そこにいる及川は、女に対してひどいことはしないと思うぞ。安心していいからな」
店の入口近くの、トキ高の先輩が大きな声で言った。その口調は穏やかで優しく感じた。
その先輩にやりとりを見られていたのだと気がついて、わたしはあわてて俯いた。
「すみません。出ます」と言いながら、及川くんは先輩たちに頭を下げたあと、わたしの手を取って店を出ていく。
店を出たあと、駅とは違う方向に手を引かれ、振りほどくタイミングがわからずについて行っていた。
「えーっと、どこまで行くんですか」
歩くスピードについていくのが疲れてきて、わたしはそう訊ねた。
「あーッ」
手を引いていたことに気がついたのか、及川くんは立ち止まり、顔を真赤にしてわたしに背を向けた。
「駅から離れたほうがいいだろって、それしか考えてなかった。手……勝手に、その、ごめん」
さっきの勢いとはまったく違う雰囲気に、わたしは戸惑う。
顔がアツい。触れられた手は、もっと熱い。
「俺は、彼女がどうしても欲しいってわけじゃない」
「わたしも、彼氏がほしいなんて言ってない」
「篤史とその彼女が仕向けたみたいだな」
「そうなんだろうね」
立ち止まった場所は、駅の前の大通りの筋違いの住宅街の通りで、車はほとんど通らない。
中学生や高校生の下校時間だから、まばらに人はいる。
「ここから数分のところに喫茶店がある。コーヒーか何か、飲む?」
「そうだね」と言ったものの――話すことがあったかな?
今度はゆっくり歩いて、及川くんについていく。及川くんが、気づかうように歩いてくれているのがわかった。
喫茶店は、駅に続く大通り沿いにあった。三階建てのビルの一階にあるらしい。一階部分の壁にはレンガで装飾されている。二つある窓は、白い磨りガラスで店内が見えないようになっていた。
入口を開けると、かわいらしいベルが鳴り、店員が「いらっしゃいませ。二名様でしょうか」と、丁寧に声をかけてきた。
及川くんが頷くと、「あちらの奥のテーブルが空いています」と、右手をそちらに向ける。
アンティーク家具らしい、テーブルや椅子。チョコレート色で統一されている。
「雰囲気がいいね。こんな感じ、好きかも」
店内をキョロキョロみながら、そう口にしていた。
「よかった。たこ焼き屋より、こういう感じの店が好きなんじゃないかって」
及川くんはそう言ったあと、いつの間にか出されていたお冷やを飲み干した。
「改めて……なんかさっきは、ごめん」
「こちらこそ、ごめんなさい」
手の汗を拭き取ろうと、おしぼりに触れる。その動作が、及川くんとかぶっていて、なんだか恥ずかしくなって、おもいきり俯いた。
あとは、何を話したらいいんだろう。
お互い、紹介の話は乗り気じゃなかったというのは理解して納得している。たぶん、納得してもらえてるはず。
「自己紹介する?」
及川くんが、疑問形で呟いた。
「そうだね。自己紹介……」
毎朝みかけていた人と、向かい合わせ。そして、自己紹介。現実感がない。話せるようになるなんて思っていなかったから。
テレビの芸能人にたいする憧れに近いものだと思っていた。恋愛の好きというのではなくて、憧れだと。それくらいの気持ちなら、何があっても悲しむことにはならない。
知り合ってしまったら、憧れじゃすまなくなる。
ついさっき、握られた手は、まだ熱を帯びている。
「俺は、及川陽太。朱鷺丘高の普通科。地元は
「白水? 隣の市だよね。遠いんじゃない?」
「遠い。六時過ぎに家を出ないと間に合わない」
「大変だねぇ……」
「地元の高校は、行けそうになかったからな。それについては自業自得だから、大変だと思わないようにしてる」
「中学時代に、いろいろやらかしすぎた。高校はちゃんとしなきゃやべぇなって思ってる。卒業するって親と約束したから」
「そう、なんだ」
やらかしすぎたって、何をしたんだろう。お兄ちゃんほどではないだろうと思いたい。
白水にある私立高は共学で、偏差値は朱鷺丘と同じくらいのはず。わざわざ市を越えてなんて。
「そんな感じ。ひとまず。紗月さん……も自己紹介を」
「はい」
及川くんに名前を呼ばれ、わたしは声を上ずらせて返事した。
「わたしは、
「地元は知ってる。駅でよく見かけていたから」
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