第48話

 潮の流れが変わったのか、波の音が少しだけ荒ぶってきた。

 少しだけ、心が痛んでいる。でもそんなものは引き潮で沖に流されてしまえばいい。

 昔のことだ。そう思いながら、去っていった車のほうに背を向けて、自転車チャリを押して歩く。


 自分は何もできなかった。そんな後悔は二度とごめんだと思った。

 人を救うなんてだいそれたこと、喧嘩しか能がなかった俺にできるはずはなかった。


『陽太くんは、優しいから。喧嘩が強いだけじゃないよ』 

 先輩の、この言葉を信じよう。

 どういうのが優しさなのかわからないけど。

 物理的にも心理的にも距離をおかないようにしていれば、それが優しさに感じてもらえるなら。

 相手が言葉にしないこと、できないことを、できるだけわかろうとしよう。そして、言葉にしやすいようにしていく。


 パーカーの右ポケットに入れっぱなしになっていたたばこ。

 もう、吸わない。これは必要ない。

 ぐしゃぐしゃにして通り道の公園のごみ箱に捨てた。


 家に帰ると、あゆが玄関で俺を待っていた。

「お出かけして帰ってきたら、お兄ちゃんいなくて」

「ごめんな。あゆは、どこに行ってた?」

「お父さんとお母さんとね、おもちゃ屋さんに行ったの!」

「あー、そうか。あゆ、もうすぐ誕生日だったな。何か欲しいものあるかな?」

 靴を脱ぎながら、買ってもらったおもちゃを見せてもらう。

「お絵かき帳! クレヨンも買ってもらったから」

「わかった。誕生日までに買っておくから」

「一緒にお店、行きたいの!」

「一緒がいいのか。でもな、お店は遠いんだぞ。お兄ちゃんは車を運転できないから、歩いて行くしかない。あゆは、たくさん歩けないだろ?」

 そんな話をしながら、リビングに移動した。

 あゆをソファに座らせ、頭をなでる。

「たくさん歩くの……あゆ、できないかなあ?」

「あゆがもう少し大きくなったら一緒に行こうな?」

「うん。約束だよ? それと、お出かけするときは、あゆに教えてね」

 俺はうなずいて、指切りをした。

 

 

 


 

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