四、伝わる距離

第62話

 リビングに入ると、川井はすぐソファに座った。図々しいやつだ。

「親父は工場で、あの人は買い物だから……今は俺しかいない」

 川井に聞かれる前に言っておく。

 鍵屋さんにりんごとスポーツドリンクをもらった。体調の心配をして会いに来てくれるのは嬉しいけど、学校を休ませてしまったのが申し訳ないと思う。


「熱は下がって、咳のほうは今、落ち着いてる」

 もともと身体は頑丈だから、風邪はすぐ治る。

「休むってことは、やっぱり学校辞めなきゃいけないんじゃねぇの?」

「それは、あとで話し合う。親父が今、いそぎの仕事してるから、それが終わらないと」

 川井の言葉に鍵屋さんは顔をしかめた。

 親父との約束のことを聞いているんだろう。

「どうしてそんな話になるの。体調崩すことくらい、誰だってあるでしょ」

「中学の頃、かなり迷惑かけたんだ。出席日数や内申、いろいろひどすぎて、私立で受けられる高校がトキ高しかなかった」

 自業自得、その一言で済む話なんだ。

「人んの事情に、口出しできねぇだろ? 紗月ちゃん」

 川井がフォローしてくれた。

 鍵屋さんが俺のことで怒ってくれるのは嬉しいけど、どうにもならない。


「たとえばだけどー、この状況が俺だったら、どうしてた?」

 川井が軽いノリで言った。重たい空気をどうにかしようとしたのか、それとも悪ノリか。

「え、それは――」

 鍵屋さんが口ごもる。

「やっぱりぃ? 俺がこの状況だったら何もしないだろ。及川のことは他人だけど、気になり過ぎて他人じゃねぇって、そういうのがあるからだろ?」

 悪ノリというより好奇心だろう。鍵屋さんを困らせようとしているようだ。

 鍵屋さんがここに来てくれたのは、そういう気持ちじゃない、そうだと嬉しいけど違うだろう。

 気まずいな……

  

「あら、お友達、来ているのね」

 理香子さんが帰ってきた。

「川井くんと、川井くんの彼女? こんにちは」

「川井の彼女じゃねぇよ」と俺が即答すると、

「なぁに、じゃあ、陽太くんの彼女なの? もしかして、昨日の電話の子!?」

 理香子さんは嬉しそうな顔で鍵屋さんを見ている。鍵屋さんは俺と理香子さんを交互に見てうろたえていた。


 番号を教え合っていたのが川井にバレた。

 すぐに川井はニヤけながら冷やかすような言葉を投げかけてくる。

「おまえら、電話するくらい仲良くなったんだな。まだ彼女じゃねぇんなら、紗月ちゃん、今度は俺と電話したりデートしたりしよっか」

「しません」

 鍵屋さんが食い気味に言った。

 鍵屋さんは川井のことが苦手なのかもしれない。それを感じて安心した。


 理香子さんが、鍵屋さんと川井にコーヒーを出してくれた。俺は鍵屋さんが買ってきてくれたスポーツドリンクを飲む。


「あの人、俺の母親じゃないから。親父の恋人オンナだよ。籍いれてないし一緒に住んでない」

 理香子さんがコーヒーを淹れるので席を外したとき、鍵屋さんが理香子さんを気にしているようだから話してみた。

「なんか……ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。たいしたことじゃない」

 隠すつもりはない。ウチの事情を知ってもらいたいと思っていた。

「俺の母親は、どっかで生きてるよ。俺が小さい頃、出ていった。今、何してるか知らない」

「そっか……」

 理香子さんがコーヒーを持ってきてくれたので、気まずい空気は一瞬だった。そのあと、あゆの迎えがあるから理香子さんは出かけていった。


 鍵屋さんがコーヒーを飲んだあと、幸せそうな顔で微笑んでいる。

「おいしい……」

「うまいな。コーヒーって、こんなだったっけ?」

 川井までコーヒーを満喫している。そういえば親父がコーヒー好きだから、豆にこだわってるとか言ってたな。


「陽太。寝てなくていいのか? それともサボりか?」

 親父がリビングのドアを勢いよく開けた。

 

 



 


 


 

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