第63話

「熱があるって言っただろ」

 鍵屋さんが心配そうに俺を見ている。

「じゃあ、なんで起きてるんだ。熱が下がったなら学校行けばいいだろう。おまえの理屈に合わせるならな。約束は約束だ。高校は辞めろ」

 何も言い返せないでいると、

「おじさん、落ち着いてください」

「どうした。義人よしとまでサボりか? オンナ連れてきてチャラチャラしてんだなあ?」

 川井の言葉は、火に油を注いだようだった。

 諦めるしかないだろう。全部。

 

「初めまして。鍵屋といいます。及川くんと川井くんと仲良くさせてもらってます。わたしと川井くんは、お見舞いに来たんです。欠席しない約束の話を聞いたので、心配になったので」

 

 鍵屋さんがソファから立ち上がり、親父をまっすぐ見ながら言った。

 すると親父は、はぁとため息をついたあと呆れた顔をしながら、

「学校サボってまで見舞うのは、よくないな。陽太が中学の頃、学校休んで遊んだり暴力事件おこしたりしたから、そういう約束をさせたんだ。自業自得だろう。やめたくなければ、熱があっても学校に行けばいい話だろう」

 と言い返した。

 鍵屋さんが親父に強く出ている姿が嬉しい。嬉しい反面、むなしくも感じていた。


「差し出がましいことを言います。

 暴力事件とか、たしかによくないことをしていたのかもしれません。

 過去の過ちを反省して乗り越えようとする人の未来を、親が……大人が阻むのは、違うと思います。

 わたしの兄は、悪いことをして高校中退しました。今は反省して真面目に会社員をしています。

 誰かがチャンスを与えなかったら、過去の悪事でその人の未来をつぶすことになりませんか?

 消しようがない過去です。何かと引きずり出させることはあるかと思います。

 誰かが、それでも、……ヒトは変わると信じないと……」


 鍵屋さんはゆっくりと言葉を選びながら、親父の目を見て話していた。むなしいと一瞬でも思った自分が恥ずかしくなる。


「わかった。次はないからな」

 親父は、俺をちらりと見たあとリビングを出ていった。

 納得したのか……?

 鍵屋さんの言葉で親父が?

 頑固な親父が他人の言葉で?


「紗月ちゃんのお兄さんって、もしかして……晴月はづきさん? 鍵屋って聞いたことあるなって思ったんだよな。だから、トキ高の俺らみたいなの見ても動じなかったんだなあ」

 川井がしらじらしく言っている。

 俺も川井も知ってるけど……


「親父を言い負かすって、すごいな。鍵屋晴月を見慣れていたらビビったりしないってことか」

 うつむいたまま、こみ上げてくる笑いをこらえていたけど、抑えきれず笑ってしまう。

 好きな子に助けてもらうなんて情けないを通り越して笑える。

 親父を言い負かす鍵屋さん、すげぇよ。

「笑わないで……」

 笑いすぎたらしく、鍵屋さんは顔を赤くしてそっぽ向いた。やばい、かわいい。

「ごめんなさい! 図々しいよね。いろいろ言い過ぎたし踏み込み過ぎたよね」

 照れながら謝る姿がとにかくかわいくて、川井に見せたくないと思ってしまう。

「嫌じゃない。お見舞いは嬉しい。図々しいなんて、思ってない。親父に強く意見したのにはびっくりしたけど。おかげで、辞めなくてよくなった。本当にそれが嬉しかった。やらかしたことは消えないから、しょうがないって、朝の時点で諦めていたから」


 にやけるのを堪えていると、

「うん、よかったよかった。俺、邪魔みたいだから、先に帰るよ。及川が駅まで送ってくれるだろうから大丈夫だろうし。じゃあな」

 川井が早口でまくしたて、手をひらひらさせながら部屋を出ていく。すぐに玄関が閉まる音が聞こえた。


「邪魔って、なんだよ……」

 いや、邪魔だった。気づくのおせーよ。

「邪魔って、そんなことないよね」

 鍵屋さんが同意を求めてきたけど俺はすぐに否定した。


 鍵屋さんが俺の言動の理解が追いついていないのか、固まっている。リビングの時計の針の音が妙に響いて、緊張してきた。


「昨日、電話で言ってた、土曜に話すって」

 鍵屋さんが話をそらした。

「ああ、言った」

「今じゃ、だめなの?」


 ちゃんと伝えるなら今だろう。

 腹をくくって気持ちを伝えることにした。


「鍵屋さん、俺ね、鍵屋さんのこと、見かけていたって言った。見かけるなんてもんじゃなくて、見てた。

 今日の話で、俺は、鍵屋さんともっと仲良くなりたいから、付き合うのを前提で友達から始めてくれたら嬉しい」

「まだ、よく、お互い知らないから……」

「知らないから知るために、友達から。お互い、いいところ悪いところ、ちゃんと見せ合っていけばいい」


 強引過ぎないように、言いたいことはちゃんと伝える。


「友達から次にうつるとき、うつりたくなったとき、気持ちが変わったらどうするの? 二人が同じ気持ちになるかわからないし」

「先のことは、わからねぇだろ。俺は、真面目に、鍵屋さんに好かれるように頑張るけど、鍵屋さんは、頑張らなくていい。俺だけがこうだっての、今、じゅうぶん、わかってるから」

「わかるの?」

「鍵屋さんは、付き合うとか考えてないんだろ。なんとなくだけど、それは感じるから。無理強いしたくない。鍵屋さんのペースでいいんだ。俺が、勝手に好きなだけ」


 今言える全部を、伝えられたと思う。


 


 


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