第74話

 鍵屋さんが空き缶をゴミ箱に捨てようと立ち上がる後ろ姿を見ながら、「ちゃんとしてる」という言葉を頭のなかで繰り返していた。

 好きな子から肯定してもらえるって、最高に最強でこの言葉だけで、これからの人生、どんなことでも乗り越えられる気がする。おおげさだけど、それくらい響いた。


 ベンチから立ち上がる。立ち上がるのを忘れそうになっていた。ゆっくり立ち上がりながら「ありがとな」とつぶやいてみる。ちゃんと聞こえたかわからない。

 立ち上がると同時に鍵屋さんが振り返り、向かい合う立ち位置になる。鍵屋さんが少し見上げて、赤くなった俺を見ている。

 見つめあったのは一瞬だった。

「俺も飲み終わったし、移動しようか」

「そうだね」

 目が合ったのは見間違いかも?

 鍵屋さんも耳を赤くしている。

 ジュースの空き缶をゴミ箱に捨てたあと、

「次、Tシャツ見たいから、メンズの店でいい?」

 と、いろいろごまかすように背中を向けてエレベーター前のテナント地図を見にいく。 

「三階にあるようだから、行こうか」

 鍵屋さんが待っているところに向かった。

「鍵屋さん、疲れた?」

「疲れてないよ。さっきの、及川くんの顔が赤くなったのが……なんていうか新鮮で」

「俺だって照れるんだって」

「うん。わたしまで、にやけちゃって。なんとなく、嬉しい……ううん違うな、嬉しいとかじゃなくて、変な言い方だけど、こういうの、なんかいいなあって」

 俺だって余裕なふりしてるだけなんだって。


 階段で三階に移動しようと降りながら、鍵屋さんが話している。

「及川くんのことをどういう意味での好きにあたるのかわからないけど、一緒にいていろいろ……」

 大事な話をしていることに気がついた。

「ストップ。階段じゃなくて、ちゃんと聞いていたいから、そこの隅で、最初から話してほしい」

 どんな気持ちの流れでその話になるのか、階段を降りながらだと聞き逃してしまいそうだ。鍵屋さんは勢いで言おうとしたのかもしれないけど。


 三階の踊り場のベンチに座る。


「及川くんは、わたしを誰かの妹っていう代名詞のわたしじゃなくて、わたしをちゃんと見てくれてる。それが嬉しい。

 及川くんの前だと自然体でいられるのがわかった。ちょっとずつ、及川くんを友達じゃなくて、特別な人として見てるように思えてきてる。

 これが、好きってことかわたしにはよくわからないんだけど、ちゃんと好きになりたいと思うから、友達じゃなくて……及川くんの、彼女……として」


 鍵屋さんが言葉につまっている。そこまではゆっくりと、言葉を選びながら話していたようだった。


「ちゃんと、つきあっていきたい……です。お願いします」


 声が震えていた。

 鍵屋さんはベンチに並んでうつむいたまま。

 俺はその横顔を見ている。


「ありがとう。俺は、待つつもりだったから。思ってたより早く、その言葉が聞けてびっくりしてる」

「うん」

「無理してない?」

「してないよ」

「だったら、顔をあげてほしい。目を見て話せるなら嬉しい……けど、無理か。無理そうだな」


 鍵屋さんは、顔を両手で覆っていた。鍵屋さんはかなり照れ屋だとわかったから、無理強いしたくない。

 

「目を見なくていいから。改めて、よろしく」

 でも、やっぱり鍵屋さんの目を見たいから、鍵屋さんの手を取り「よろしく」ともう一度言う。

 

「じゃあ、店……行こ」

 そのまま立ち上がり、手を繋いだまま階段を降りる。

 今までにないくらい心拍数が早くて、でもその早さに合わせて走ってしまいそうなくらい、浮かれている。平常心はどこ行ったんだろう?


 店に着くと、服を広げたいから手を離さなきゃいけないことに気づいた。服が見たいと言ったことを後悔している。

 長袖Tシャツ一枚買ったあとは、丸一のなかをうろついた。さりげなく手を繋いで歩いた。


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