この距離のはかりかた

香坂 壱霧

高校一年五月〈紗月の章・一〉

一、電車の彼

第1話

 不思議なくらい、彼と目があう。

 それを意識してから、彼を探すようになっていた。

 線路を隔てた二番線。

 彼はそこに、七時三十五分に現れる。この駅を乗り換えで利用しているのはわかっていた。駐輪場で見かけたことはないから。

 どこの駅から乗ってくるのか、彼の地元はどこなのかはわからない。

 高校は、わかっている。県北の男子が多く集まる私立の男子校の制服だから。


 七時四十二分、彼は同じ学校の友人たちが乗る電車の二両目に乗り込む。そして彼らのいるいつもの場所に移動し、窓の外を見る。そこでまた、目が合う。

 その電車を見送るのが日課になって、一ヶ月半が過ぎていた。


 ❇ ❇


 高校に入学してから話すようになったクラスメイトたちと、好きな人や彼氏の話で盛り上がる。

 わたしだけ話すことがないのは気まずくて、気になる人がいると嘘をついた。

 電車でみかける日課の彼にたいする気持ちは恋じゃない。気になるだけ。どんな人か知らないのに好きになるはずがない。わたしは、恋なんて二度としたくないんだから。

 接点がないから、わたしの嘘だとバレることはない。これから先に、何も起こりようがないのだから。


 誰かを好きなるなんて懲り懲りだった――はずなのに、気がついたら目で追いかけるようになっていた。それでも、わたしは電車の彼が好きだとは思ってなかったんだ。


   ✳ ✳ ✳


 心の片隅に、中学のときに片思いしていた人が居座っている。

 その人をまだ好きなんだろうかと、自身に問う。思い出しても、ときめきらしいものはない。つまり、好きじゃない。

 居座るあの人への想いがなんであるか、それに名前をつけるとしたら未練というものだろう。不完全燃焼だったから。

 告白する勇気もないまま中学の卒業間際、あの人はわたしの友達と付き合いはじめた。二人して同じ高校に進学するらしい。

 わたしは、ほっとした。ほっとしたけど、夜になると泣いた。

 友達といっても特別仲がよいわけではなく、クラスの中ではそれなりに話す子だった。

紗月さつきの好きな人って、鳥生とりゅうでしょ』

 何人かで恋バナしていたとき、わたしの好きな人を言い当てた七瀬あの子は、先輩が好きなんだと言っていた……はず。


 そして、放課後の教室で――

『ひどいよね。紗月が鳥生を好きなの知っていたのに。七瀬って先輩を好きだったじゃない。なんで鳥生に告白されてOKしてんの』

 ほかの女子が七瀬をなじった。七瀬は泣きながら、わたしに謝っていた。

 なぜ七瀬が謝るのかわからなくて、わたしは冷めた目でその姿を見ていた。周りの女子たちは、あの子を強く責めたてる。

 わたしが怒らないのに、どうしてほかの子たちが怒るんだろう。どうしてあの子は、わたしに謝るんだろう。

 わからなくてぼんやりとその光景を眺めていると、あの人――鳥生くん――が現れた。

『七瀬は悪くないだろ。そんな人数で責めるのはおかしいんじゃねぇの』

 鳥生くんは七瀬の前に立ちふさがり、わたしを含めた女子たちを軽蔑するような目で見ていた。

『謝れっていうなら俺が謝るし……』

 泣きじゃくる七瀬を支えながら、鳥生くんは教室から出ていった。

 好きだと伝えていないのに、わたしは玉砕も同然。いや、それ以下かもしれない。軽蔑されたのだから。

 不完全燃焼なのは、これがあるからだろう。喉に何かがつかえているみたいな、気持ち悪さがある。


  ✳  ✳  ✳


 中学での一件があり、恋愛の話で盛り上がってもわたしは冷めていた。冷めるというより、誰かを好きになるのを恐れているのかもしれない。

 冷めた自分がいるから、電車の彼が好きな人というのはしっくりこなかった。

「紗月、電車の彼とは何も進展ないんだよね」

 休み時間になってすぐ話しかけてきたのは、遊木ゆき瑛美里えみり。高校入ってすぐ仲良くなった。

「学校違うんだから、何かあるはずもないよ。話しかけられないし」

「それなら、ちょっと相談があるんだよね。あたしの彼氏が、友達を紹介してほしいって言うの。紗月……どう? 会ってみない? あたしの彼氏、朱鷺丘ときおか高だから、ほら、電車の彼と知り合えるかもしれないし」

「好きな人いるのに、紹介で男子と会うなんて抵抗あるよ。電車の彼と知り合いだったらって考えたら、なおさら……」

「一度だけ、会うだけでいいんだよー。お願い! 朱鷺丘高だからヤンキーっぽいけど、悪い子じゃないんだよ」

 朱鷺丘高校は、県内で有名な男子校。生徒の半分以上はヤンキーだと言われている。その中でも、機械工学科はヤンキーしかいないと聞いている。

 瑛美里の彼氏は、たしか……その機械工学科。

「じゃあ……瑛美里と瑛美里の彼氏も一緒なら」

「ほんとに?! よかったぁ。じゃあ、伝えとくね。水曜の放課後、空けといてね」

 一回だけなら……押しに弱い自分がいやだ、と思った。

 そういえば、瑛美里の彼氏……どんな人なのかな。見たことない。

 みるからにヤンキーな見た目だけどイケメンって聞いている。瑛美里はマイルドなヤンキー風だし、たぶん並んでも違和感ないんだろう。

 わたしは瑛美里とは真逆で、地味な見た目……。





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