第60話
「そういうの嫌い」と言われたことが、ずしんと心にのしかかっていた。担任に言われたことも思い出した。川井を助けたことにならない。自分を貶めただけ。
「及川? どうした?」
俺がぼんやりしているのに気がついた篤史が、声をかけてきた。
「いや、なんでもない。そういや、川井は?」
「帰ったんじゃないか? どこにもいないみたいだから」
川井は、何がしたかったんだろう。
「俺は瑛美里の家に行くけど、及川はどうする?」
「俺は帰るよ」
川井が何かよくないことを思いついていなければいいけどな。帰りの電車のなかで俺は、言いようのない不安を感じていた。
白水駅に着いて
無視して帰ろうとしたら、背中をバットか何かで殴られて自転車ごと地面に転げ落ちてしまう。
中学卒業してから、やられてもやり返さないと決めた。
「本当にやり返さないんだな。噂通りじゃねぇか」
嘲り笑うやつらを冷ややかな目で見ていると、
「いまさら真面目ぶっても、やられたやつらは忘れねぇんだよ!」
とすごまれ、腹に蹴りをいれられた。
二度目の蹴りをよけすぐに起き上がり、制服の汚れを落とす。
「喧嘩売られても、こっちはやる気ねぇんだよ。そんなやつに勝って気分いいか?」
火に油を注いだようで、ひとりが殴りかかってくる。顔に怪我をつくると親父がうるさいので避ける。
顔以外は避けないようにしていてもうまく避けてしまい、余計に苛立たせるようだった。
適度にやられておこうとしていたら、誰かが通報したらしく、駅の交番から警察官が自転車で向かってきているのが見えた。
「ちっ!」
やつらも気付いたらしい。俺は倒れた自転車に乗り車が来ていないのを確かめ、大通りを横切ったあと、裏通りを抜けていく。
最初に殴られた背中が痛みがひどい。熱出るな、これは。
家に着いてからすぐ、シャワーで背中を冷やした。
「陽太くん、晩御飯は?」
シャワーから出てリビングに顔を出すと、理香子さんとあゆがご飯を食べ終わったところだったようだ。
殴られたせいで食欲はない。
「今日はいらない」
「お兄ちゃん、あゆがハンバーグをこねたんだよ。明日は食べてね?」
「ごめんな。明日、ちゃんと食べるから」
あゆの頭を撫でたあと、リビングを出る。
部屋に戻ってから、鍵屋さんの家電のメモを取り出し時計を見た。
九時になったら電話してみよう。理香子さんとあゆ、帰る時間だからリビングで話せるはず。
九時になりリビングにおりたら、理香子さんがテレビを観ていた。
「あれ? あゆは?」
「あゆがお父さんとお風呂に入りたいって言うから……ごめんなさい。お風呂出たら帰るから」
申し訳なさそうに言う姿を見ると、背中の痛みが増したように心にずきずきと響く。
「あゆがそうしたいなら、いいんじゃない? あと、今から電話使うんで……」
理香子さんは頷いてテレビの音量を下げた。
リビングの端のソファの反対側にもたれ、メモを見ながら番号を押していく。
何度かコールが鳴ったあと、
『はい、鍵屋です』
と、男の声……鍵屋さんの父親? お兄さん?
「夜分遅くすみません。及川と言いますが紗月さん、いらっしゃいますか?」
『こんな時間に紗月が不在なわけないだろうが。お前、及川って? ちょっと待て。キャッチだから向こう切るわ』
これはお兄さんだな。晴月さんか。
キャッチ音が二分くらい流れたあと、
『及川って、白水のあの及川か。俺の後輩から、チーム断られたって聞いてる。俺は引退してっから、チームのことに口出ししてない。けどなー、どういう理由か聞かせろ。それと、紗月とはどういう知り合いか』
「口出ししてないなら、
今は普通の社会人なら口出ししないだろうし、文句を言えないはずだろう。兄として気になると言うなら、俺もわかる。
『ははっ。ビビリもしねぇか。そりゃそうだな。引退したやつがうるせーよってなるよなあ。もちろん、紗月の兄として気になるってことだ』
「中学卒業してから、タバコや喧嘩やめようと思ってます。といっても喧嘩売られることがまだあるんで困りますけど。トキ高だし、今までがあるから仕方ないと思ってるんで……あと、真面目に高校卒業するって、親父と約束してます」
『わかった。紗月と付き合ってるのか?』
「まだ、そういうんじゃ……でも、いずれ?」
『ふーん。泣かせることがあればぶっ殺すからな? じゃあ、紗月にかわる。ちょっと待ってろ』
保留音に切り替わり、また二分くらいしたところで、『もしもし?』と鍵屋さんの声が聞こえた。
「今の時間、大丈夫だった? ていうか、お兄さんにびっくりした」
『何か言われたの?』
「どこの及川だとかいろいろ聞かれたから、素直にいろいろ答えた」
『お兄ちゃんのこと、怖くなかった?』
鍵屋さんは俺が晴月さんだと知らないはずだから、さらりと流さないといけない。
「怖くない。泣かせたらぶっ殺すかもなって笑われたけど」
『ぶっそうなこと言われたんだね。ごめんね』
「俺のほうが泣くことはあるだろうけど、その逆はないだろ」
『え? 泣くの? どうして』
「そこは、サラッと流してほしいとこなんだよなあ」
笑うと背中と腹が痛む。やっぱり鍵屋さんは鈍感だ。
「今度の土曜日、ヒマ? 嫌じゃなかったら会ってほしい」
『どうして』
どうしてと訊かれて、黙ってしまう。
「長電話、やめなさいよ」
理香子さんが突然話してきた。
「うるせぇな、出来る限り用件だけにしようとしてんだよ、聞き耳たてんじゃねぇぞ」
母親ぶってるような言い方に苛ついて、きつくあたってしまう。
しまった。鍵屋さんに聞こえたか……?
「ごめん、うるさかったろ」
『ううん。大丈夫』
「嫌なら、電話しないし、朝も鍵屋さんから見えない場所にいるようにするから」
迷惑だと思われるのはきつい。
――迷惑じゃないなら、友達……として、それでいい――
理香子さんが観ているテレビドラマのセリフが聞こえてきた。
――友達でいいの?――
なんだよ。ドラマに突っ込まれてんじゃねぇか。タイミング最悪だな。
『迷惑じゃない。電話じゃ話が長くなるから、会っていろいろ話すね。今度、聞いてくれる?』
「わかった。じゃ、土曜日の昼一時過ぎに、櫛田駅で待ってる」
そこで電話を切る。
ドラマのおかげかもしれないけど、迷惑じゃないのがわかったから良かった。
「陽太くん、ごめんなさい……」
俺がきつく言ったせいで、理香子さんが落ち込んでいた。
「言い過ぎた。ごめん……」
俺はあゆが風呂から出るのを待たずに部屋に戻った。いつもなら、あゆがアパートに帰るとき玄関まで一緒に行くんだけど……
背中を冷やしすぎたのと申し訳無さとで、頭が痛くなっていた。
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