第65話

 鍵屋さんが帰ったあと、少し熱が上がっていた。これ以上寝込むわけにはいかない。

 鍵屋さんが親父と話してくれたことが無駄になるのは避けたい。避けるべきだ。


 リビングにある薬箱から鎮痛剤を取り出す。

 台所に移動してコップを取ろうとしたとき、理香子さんがあらわれた。

「どうしたの。熱がひかないの?」

「微熱くらいだけど一応飲んでおこうかと思って」

「朝は鼻声だったから風邪ひいてるのかと思ったけど、熱は風邪のせいじゃないんでしょ? 喧嘩で、どこかひどく殴られたんじゃない?」

「喧嘩なんかしてない」

 顔は殴られてないのに、なんでわかったんだろう。

「歩いてるときも少しおかしいと思ってたけど、ソファにもたれてなかったから、背中……痛むんじゃないかと思ったの」

 バレないようにしたつもりだったのに、意外と鋭い。

「昔、ちょっとだけ……そういうの覚えがあるのよ。陽太くんみたいに強くなかったから、喧嘩のあと、よく熱を出してた」

 理香子さんが、昔……不良だった? そんなふうには見えない。

「親父は知ってる? そういう、昔の話」

「あまり昔の話はしてないけど、知ってると思う」

 親父と理香子さんは、一回り歳が離れてる。もちろん理香子さんが年下で。

「陽太くんが私の話を聞いてくるの、初めてだよね」

 ずっと話さなくていいように避けてきた。

 あゆとは話すけど。

「薬飲んで早く寝たほうがいいんじゃない? 明日は学校行くんでしょ」

「明日は微熱でも行くよ」

「鍵屋さんを心配させたくないんよね」

 ふふっと理香子さんが笑う。


「お母さん、冷蔵庫のプリン忘れないでよー」

 台所に、あゆが入ってきた。

「お兄ちゃん、みてみて! さっき、お父さんとお母さんとお兄ちゃんの絵を描いたの。あゆもいるよ!」

 お絵かき帳の描いたページを広げて見せてくる。

「親父だけ笑ってないじゃん」

 よく見てるよな。めったに笑わないから。

「お父さん、笑うよ! あゆが絵を描くときに笑ってなかったから……」

 見たまんまを描いたのか。

 親父は、あゆの前だと笑う? 娘はかわいいだろうから、そうだろうけど。想像できない。

「あゆ、上手に描いてるぞ」

 頭を撫でながら言うと、

「はなまる、描いて!」

「はなまる?」

「こういうやつ!」

 あゆは、ページをめくってを見せてきた。

「ああ、なつかしいな。こういうの」

 俺は色鉛筆の赤色を使って、あゆの描いた家族の絵の隅っこにはなまるを描いた。


 家族の、絵……


 自然とそう思えた自分に驚く。

「家族の絵、だな」


 俺のつぶやきは、理香子さんにも聞こえていたようだ。

「陽太くん……?」

「あー、えっと、家族だろ?」

 俺は照れくさくなって、飲みかけていた薬を口にいれて水で飲み込んだ。

 理香子さんに背を向けて、

「おやすみなさい。気をつけて」

 そう言って台所を出た。

 理香子さんの反応を見られない。


 

 


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