第78話

 嬉しすぎて? それで力が抜けるって、どういうこと? わたし、特別なこと言ったかな。

 恋愛経験なさすぎて機嫌を損ねるようなことを言ってしまったか、会話の流れを頭のなかで反芻する。

『そこで無言になると、なんか恥ずかしいんだけど……』

「えと、恥ずかしいってことは、わたしがへんなことを言ったんじゃないってこと?」

『喜んでもらえるように頑張るってさ、好きじゃなきゃ喜んでもらいたい……って、ならないだろ? 心の準備ができてなかったから、嬉しい言葉にやられたんだよ。ほんっとに……恥ずい』


 あー、熱い……

 電話の向こうには、顔を真赤にしている及川くんがいる。手で顔をあおいでいたりキョロキョロしたりして、照れ臭さを抑えようともしているだろう。

 目の前で見たら、わたしも照れてたはず。

 及川くんは、今の気持ちをちゃんと伝えてくれる。わたしが無意識に言った言葉を大事に受け止めてくれてる。

 彼氏と彼女として付き合うようになると、相手の言葉が全部宝物のように感じて、とりこぼしたくなくて、一喜一憂するんだね。

 わたしも及川くんを好きになってきている。


『行きたいところがあるなら、全部行こうか。夏休みもあるだろ』


 まだ先だけど、楽しみが増えるのは嬉しい。

 

「いつまで電話してんだ。俺も電話使うんだけど」


 お兄ちゃんがわたしの部屋の入口に立っていた。いつからいたの?

 恥ずかしくてうつむいて目を合わさないようにしてみる。


「その様子だと付き合うようになったんだな。よかったじゃねーか」

「お兄ちゃん! もう少ししたら電話切るから出てっいってよ!」

「デートするのはいいけど遅い時間まで連れ回すんじゃねーぞ」


 受話器の向こうの及川くんは、

『わかってますって伝えて』

 と言った。

「及川くんは、ちゃんと考えてくれてるから! いいから出てって」


 お兄ちゃんが部屋を出ていき、自分の部屋に戻った音を確かめてから、会話を再開する。


「ごめんね。お兄ちゃん、ちょっとシスコンなんじゃないかなって」

『それはわかる。俺も何年かしたら、あゆが男と電話してたら邪魔しそうだからな』

「あゆちゃん、かわいいから……モテるだろうなあ。心配だねー?」

『俺はあゆだけじゃなくて、鍵屋さんも心配してんだよな』

「わたし、モテたことがないから大丈夫だよ。瑛美里みたいに明るくないし、すごく普通っぽいでしょ」


 及川くんは、んー、と何か考えながら、「うん。鍵屋さんは今のままいたら、大丈夫だな」と、意味不明な独り言を言っていた。

 今のままってどういうことなんだろう?

 心配かけていないのなら問題なさそうだけど、何が大丈夫なのか、少しだけ引っかかる。


『晴月さんが電話待ってるんだろ。そろそろ電話切るか』

「そうだね」

『また、放課後会うときに白水の話、しような』


 電話を切るタイミングが、難しいと感じ始めた。またねと言ってから、どっちが受話器を置くのか。またねと言ったのに、じゃあ切るねと言い直してしまう。

 名残惜しい。話していたかった。


 電話をわたしの部屋からお兄ちゃんの部屋に持っていく。

 部屋のドアをノックして、お兄ちゃんの部屋のドアの前に置いた。


 瑛美里と里中くんみたいに、家が近所なら電話じゃなくて会って話せるんだろう。

 うらやましい。

 電車での移動距離、高校生のわたしには遠距離恋愛といってもいいようなもの。

 好きになれるようにって思っていたのに、こんな風に思うようになるなんて。

 


 

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