第77話

『ぼーっとできるってことは、リラックスしてるってことだろ。緊張しすぎだとぼんやりできないじゃん。緊張とけてきたのが嬉しい。あと、会ってるときもそうなるともっといいよなあ』


「会ってるときにぼんやりしたり眠そうだったり、それはだめじゃないかな?」


『長く付き合えばそんな瞬間出てくるんじゃねーの。篤史はときどき俺らの前で遊木さんの肩にもたれて寝てるときあるから』


 恥ずかしくならないのかな。

 わたしはまだまだ無理だよ。


『鍵屋さんはそうなるまでにめっちゃ時間かかりそうだな』

 及川くんはそう言いながら、ラジカセの操作をしているようだった。

『ジャケ買いしたバンドがあって、カセットに録音したんだけど、鍵屋さんの好きな雰囲気じゃないかと思う』


 ラジカセの再生ボタンのガチャっという音が聞こえたあと、シンセベースとドラムのイントロが流れ始めた。音に厚みが出てくると、伸びやかな女性ボーカルが歌いはじめる。

 歌詞は、抽象的な愛の言葉を少しだけかすれた声でささやくように歌う。サビでは、めいいっぱいの声量で苦しい思いをメロディに乗せて。間奏は静かにシンセとクリアなギターが繊細な雰囲気をかもしだしていく。


「うん、これ、すごく好き」

『だと思った』

 嬉しそうな及川くんが、

『喜んでる声でどんな顔してるか想像できる。いい顔してんだろ?』

「いい顔かどうかわからないけど、好きな音楽聴いたら気分がよくなるよね」

『このバンドのライブを観にいけたらいいよな。あ! そうだった。俺、バイトしようと思ってんだよ』


 バイト? 白水と学校の往復は大変なのに。


「バイトって、どこで? どんなバイト?」

 あまり会えなくなるとか、電話できなくなるとか、そんなことにはならないよね?


『最初は白水で探してたけど、学校終わって家に着いてからだとちょうどいい時間がないんだよな。だから、櫛田で探そうと思う。帰りが遅くなるのは問題ないから』

「櫛田で?」

 櫛田なら、少しだけ会いやすくなる……

 ほっとした自分に気づいた。

 わたし、会いたいって思ってる?


 『今見つけてるところだと駅から離れてるから、櫛田にチャリを置いとこうと思う。でも面接受かるかわからないから。ファミレスか、ハンバーガー屋あたり。高校生可ならそれくらいしかない』


 デートのときのお金かな? 電話代とかも?

 わたしもバイトしたほうがいいのかな。


『週三くらいは考えてる。土曜日は月に二回くらいは入りたいし……』

「すごいね。わたしもバイトできたらいいなあ」

『ガワ高は、バイト禁止だろ? かくれてやってるやつ、いるだろうけど』

「うん。いるみたい。でも見つかったら停学とか……」

『トキ高は、届け出せば問題ないんだ。俺がバイトするのは、二人で出かけたときに気持ちに余裕が出るようにしたいから。鍵屋さんは心配しなくていい』


 いいのかな。デートは彼氏が出すのがふつうなの? 


『申し訳ないって思わないでほしい。俺がそうしたいだけなんだから。鍵屋さんが喜んでくれたら、それがお返しになるってこと』


 及川くんが喜ぶ顔が見たいから、何かしてあげたいと思う。それと同じなんだね。

 うん、それならわかる。


「わかった。わたしは、わたしができることで及川くんに喜んでもらえるように頑張るね」


 わたしがそう言うと、及川くんは黙ってしまった。そのとき、カセットのA面の曲が終わりがちゃりとオートリバースでB面に変わった。


 B面の最初の曲のイントロはミディアムテンポのエイトビート。

 

『鍵屋さんの気持ちが嬉しすぎて力が抜けた』


 


 

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