第81話

 フレンチトーストを食べたあと、いそいで駅に向かう。

 一応、いってきますと声を出す。返事は聞こえない。誰もいない朝が当たり前だから、いつもと同じ。そう思うことにする。

 台所の片付けはお母さんがしている……はず。気にしない。していなかったら帰宅したらすればいいだけ。

 駅に行けば、及川くんがいる。顔を見たら、こんな引っ掛かりなんてきっと、すぐになくなる。


 考えないようにしていたことだった。わたしの家庭事情。蓋をしてきた。

 無表情だとか鈍感だとか、それは蓋をしてきたせいなんだと思う。

 お兄ちゃんが爆発させたから、わたしは抑えようと思った。それを我慢だと思いたくない。お兄ちゃんのせいにしたくないから。

 わたしはわたしを守るために、家庭の事情に触れないようにしたんだった。


 駅に着いてから早足で改札を抜けた。

 及川くんを探す。二番線の階段を降りたあたりにイヤホンをつけた及川くんが、わたしに気づく。手を振ると、及川くんも手を振り返してくれた。

 今、どんな曲を聴いてるだろう。

 及川くんが乗る電車が二番線に着くまで、あと五分。

 階段をかけあがって及川くんに話しかけたい衝動にかられる。急にそんなことをしたら、何かあったのかと心配させてしまうからしない。

 うつむいて表情を見えないようにする。

 及川くんにわかっていてもらいたい気持ちと、心配させたくない気持ちがぐるぐると、頭のなかでかけめぐる。


「なんで泣きそうな顔、してんだよ」

 気がついたら及川くんが隣にいた。

「電車の時間! 電車が」

「それはどうにかなるよ。何かあった?」

 顔を上げた瞬間、及川くんと目が合う。

「何もないって顔じゃないよなあ、それは」


 涙が出たわけじゃないのに、及川くんは優しい顔をしてわたしを見ている。

「学校、行けそうか?」

「行かなきゃ……今は家に戻りたくない」

「俺は次の電車でギリギリホームルーム間に合う。鍵屋さんが電車に乗るまで一緒にいる」

「遅刻、だめなんじゃないの? お父さんとの約束があるでしょ」

「ホームルーム間に合えばなんとかなる」

「……ごめんね」

「謝ることじゃねーし。心配は当たり前。迷惑でもない。それはわかるだろ? 鍵屋さんだって俺が休んだとき、うちまで来てくれた。同じことだから」

「うん。ありがとう」

「つらかったら遊木さんを頼ればいい。放課後、北河駅に行くから待っててな?」

「……うん。電車来たから、行くね」


 一緒にいてもらいたくても、それは言えない。それは困らせるだけ。

 わたしは電車に乗ると、及川くんを窓越しに見つめながら手を振った。


 


 

 


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