第15話
(その15)
ノックする音が廊下に響く。
朝の陽光に照らし出された白くて細い手が音を鳴らすのを止め、手をドアに当てて開けた。
開け放たれた部屋には誰もいない。この部屋の客人は消えたのか。
若者はそう思って部屋を見る。窓から差し込む朝の陽が降り注いでいるが、人の気配はどこにもない。
(まさか・・)
細く閉じた瞼の下で視線が部屋を見回す。その視線の先に隅に置かれたミライの道具袋が見えた。
それを見て若者は少し安堵の溜息を漏らす。
もはや逃亡などということはあり得ないとは理解していたが、万一ということが脳裏を過ったのは間違いない。
――と、すればミライはどこに消えたのか?
若者は窓に向かって歩く。そこで眉を動かした。杖を地面に置き庭の中で動くミライの姿を確認した。
(何をしているのだろう?)
若者は窓から庭を見下ろす。
ミライは庭の土を掘り起こし、何かを作ろうとしていた。土を四方形に掘り起こし、その中にどこかで見つけたのか、石を組んでいる。
(おや・・あれはもしや炉ではないか?)
思ってから窓を離れようとする若者の視線に別の一室からミライを見つめる視線を見つけた。
それは自分の父だった。
若者は父の視線から逸らす様に身を翻すと、音も立てず早い足取りで館を駆け抜け庭へと出た。
若者の視線にミライの動く背が見える。その背に声をかけた。
「ミライ殿」
ミライが振り返る。汗が出て黒い髪が額に張り付いている。
「これは・・?」
ミライが杖を置いて立ち上がりながら頷く。
「ああ・・炉をこしらえていたんだ。父上の補装具に鉄を使うつもりだが、それには火を起こす炉が必要でね」
手をパンと鳴らして土を払う。
「許可なく庭を荒らしたのは申し訳なかったが、時がないのでね」
それには若者は首を縦に振る。若者は白い生地に鉱石類の刺繍が施されている上衣でいたが、腕を捲るとミライに言った。
「わたくしも手伝いましょう」
ミライはそれに軽く首を横に振った。賛成とも反対ともとれぬ素振りに若者が困惑した表情を作る。
「いや。もう土台は出来ているんだ。土は盛ってあるんでね。後は石と道具に使う鉱石を探さなければ」」
「石と鉱石ですか」
「そう、できれば火に強い土石とアルゲナイトがあればいいのだが」
「土石にアルゲナイト?」
聞きなれない言葉に若者が戸惑う。
「それはどこにあるのでしょうか?」
ミライはそれを聞くと地面に置いた杖を取る。それを手にして地面を突く素振りを見せた。
「土石はこの杖を突いた時、地面から響く音でわかる。地面からの音の響きが地中の水に反応する場所にはその土石は無い。さっき一応この辺りを突いていたら、あのあたりでその反応があった」
指をさす先に木が見えた。その下にミライは土石があるという。
「後はアルゲナイトだが・・」
「そのような鉱石は聞いたことが無いのですが・・」
しかしミライはにこりと笑う。
「ありますよ、ほら。そこに」
ミライが若者の首元を指差す。若者が慌ててミライの指差す場所を見る。それは刺繍された鉱石だった。
「そう、その鉱石を縁取っている淡い灰色の物質こそ、アルゲナイトと僕が言ったものです」
「これがですか?」
改めて若者が見る。
「それは鉄を互いに癒着さえることもでき、また加工もしやすく、冷えた後は強度もある。以前それを使って或る武人の装具を作ったことがあります。この鉱石はアイマールでは手に入らず、隣国シルファの商人から入手できた貴重な鉱石なのです。おそらく御父上の装具を作るには欠かせぬであろうと思います」
言いながらミライはフードの下から図面を取り出した。若者がそれを覗き込む。
「おお」
若者が細めた目を見開く。
そこには補装具の完成された図があった。ミライは昨晩の内にこれを仕上げたのだろう。少しの時間で父の動きを見取り、それで一気に図面へと仕上げたのだと理解した。
感嘆すべき具師の心持と言えた。
若者は感動して頭を下げた。
――この御方は出来る
若者の心にミライが問いかける。
「木では強度が足りず、御父上の本意に沿う形となればこれを探すしかないと思います。ベルドル殿それはどこで手に入りますか?」
「王国の首都で在れば問題はありません」
ミライは頷く。
それで・・、と聞こうとするミライの出鼻を若者が目で押さえて言う。
「今から王都へ行けば早くて昼までには戻れましょう。何、ミライ殿の仕事を遅らせることは致しません」
言うや一礼するとくるりと背を向けた。その歩みはミライを探して出て来た時よりも早く、興奮した若者の情熱的な足取りだった。
ミライは去り行く若者の背を見送りながら杖を突いて歩き出した。
自らも土中に眠る土石を掘り越す為に。
そう思って少し顔を上げて館を見た。
――依頼主に朝の挨拶をしなければ
人生の美しい時とはかくもこのように互いを分かつものだろうか。
そんな誰かの声が老貴人の二人を見つめる眼差しを眩しそうにさせたのかもしれない。
その眩しさに耐えきれなくなったのか、若い二人を見つめていた老貴人はゆっくりと部屋の奥に消えようとしたが、そこで不意に立ちどまった。湧き上がる何かに揺さぶられている。
脇で身体支える杖先に宿る影を見つめた。その視線は強くも弱くも無く、唯これから自分がなすべきことに対する責任が溢れている。
――自分がこれから歩む先とは。
その歩みの先に互いを信じて仕事に向き合う若者の思いを噛みしめ老貴人は再びゆっくりと歩き出し、部屋の暗闇へと消えて行った。
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