第120話

(120)



 斜面に広がる雲の切れ間から陽が差し込めば、この大地に朝が始まる。人々は手に肩に農耕具を手にして自らの務めを果たすべく、男も女も朝陽に顔を照らされながら肩を並べて歩き出す。

 今日も土地を耕し、また夕暮れには鳴り響く晩鐘を聴いて祈りを捧げ、一日を終える。それを幾年この大地で人々は続けてきたことだろう。

 由来先祖がこの土地を切り開いて、やがて小さきながらも小国を持った。いや国とは言えないかもしれない。それは邦という分限がふさわしいのかもしれない。それでもこの邦に生きる人々は誇りを持って生きている。例え山岳の実り少ない痩せた土地であろうとも、その大地には先祖由来の汗水が滴り落ちているのだ。それだけではない。長きにわたり生き続けた多くの人々の悲哀と喜びが土深く眠り、それが多種多様な種子となって、今を生きる自らを導いてくれていると信じている。

 その小さき山岳国家を人々は誇りを持ってアイマールと言った。遥かな時、預言者イシュトに導かれて去った人々と別れを告げた古マール人の子孫が険しい山野を切り開いた独力の邦であり、マール人の再来(アイ)を意味する邦である。

 土に鍬を入れ、見上げる人々の先には小さきながらも王城が見える。大きな石造りのアーチ形の門には建国に携わり、邦の繁栄に力を注いだ英雄を模したレリーフが施されている。

 だが今日はその門の下を大きな棺を担いで列を組み、剣を抱えた騎士達が歩いている。

 担がれた棺は夏至の日にルーン峡谷で死んだ者達の遺体だった。それを墓地へと運ぶ騎士達の列が朝陽に照らされ城門から出てきている。

 アイマールでは勇敢な戦士たちの葬儀は朝執り行われる。夜は山野を跋扈する悪霊が居ると信じられており、戦士達の清らかな魂が彼等に奪われないためだ。朝の澄み渡る空の下で母なる大地に眠る事こそが戦い抜いた戦士達へのこの世界との最後の挨拶でもあり、また生者達もこれから死出の旅へ向かう戦士達への心からの慰めだった。

 アイマールの人々は今日の葬列の意味を誰よりも知っている。

 シルファへ向かう若者達を襲った暴れ竜。戦士たちは彼等から若い者を護る為に、剣を抜き、槍を構え、自らの命を顧みること無くその責務を全うしたのだ。

 シルファへ向かった旅団はその後、無事旅の目的を果たし、昨晩全員戻った。誰一人もの落伍者も死者も無く、それが散った戦士達の生命と引き換えにあることをまた生きて戻った若者はこれから深く胸に止め生きてゆくことだろう。

 城から音が鳴り響く。それはアルゴル山羊の角笛の音。山野に生きる誰もが乳飲み子の時、その乳を口にする。それはアイマールの母の味なのだ。その角笛が響く中、葬列は進んでゆく。その誰もが黙して何も語らない。

 喜びの野でまた再び会えるのだ。

 戦士達は死者も生者も常にそう思って生きている。だから涙なんぞ流さない。ただ友との懐かしい過去を思い出しては莞爾と笑うだけなのだ。

「皆、剣を天に掲げよ!!」

 騎士のひとりが声を張り上げる。その声と共に騎士達が一斉に剣を天に掲げる。その剣に朝陽が煌めくと同時に王城に一斉に旗が掲げられた。

 緑字に黄色の王家の紋章を刺繍されたアイマール王国の旗が戦士達への最上の礼を尽くすものとして王城の掲げられると、土地を耕していた人々は膝を付き、頭を下げて永久の眠りについた戦士達の魂に祷りを捧げた。

 それをロビーが見ていた。 

 彼の側にはミライが居る。

 ミライだけではない。

 シリィも居た。

 誰もが無言で何も言わなかった。あの場所に居て生死の境を生きた者が死者を見送る。それだけでも人生の重き荷をひとつ背負った気がしないではいられなかった。

 それはつまり自らも一つ年をとったという事なのだ。

 風が吹いた。その風は城門を駆け抜け空へと抜けて行く。

 その風に王旗が靡いた。

 それは朝陽に照らし出されて靡き、大きく風に揺られて誰が見ても美しい光景だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る