第65話
(その65)
「ロー」
砦の門を潜ると、若者が振り返った。振り返る先に老人が装具の足を止めて遥か後方を仰ぎ見ている。
老人の家を出てから時折、老人はこのように遥か後方を振り返った。
何かを探しているのか?
並行する若者は何も言わなかったが、目的地の砦の前で老人が振り返り遥か後方を見ているのを見て、ついに聞きたくなった。
「どうしたのさ?」
若者は帽子の鍔に軽く触れて、見上げる旗が風に靡く砦の塔から自分に向かって手を振る兵士に馴染みの顔を見つけたのか、答えるように手を振って呟く。
「シルファへ行く一番荷駄隊は未だのようだな」
老人が頷く。頷きながらも遥か後方を見つめる眼差しは細い。風に揺れる遠くの草花さえも見ようとしているようだった。
息を小さく吐いた。
「…いや、何でもない。ただ、何か後ろからずっと見られているような気がしてな」
張り出した顎に手を軽く触れて微笑する。
「気のせいだったか…」
「だろうな。俺はてっきり我が家が恋しくなって振り返っているのかと思ったぜ」
言うや、若者の尻が激しくなった。痛みに声を上げる。
「痛いってぇ!!」
「馬鹿者!!ロビー!!誰に向かって物を言っているんだ」
老人は豪快に、しかし何処か柔和になってなって声を張り上げた。
「いっけねぇ、破れてねぇだろうな。こいつはミレイの叔父から借りてきたやつなんだ」
跳ねるように叩かれた箇所を見る。
「そんなもんは、これぐらいで破れたりしない。頑丈なんだ」
老人が装具の足を踏み出す。
「それに…そいつがミレイのものなら簡単に破れやしない。あいつの奥さんのマドレーは腕利きの裁縫師だ。簡単に破けるような衣服を造るはずなんてない」
それから何かを思い出す様に笑った。その様子がロビーにはどこか温和な感じだったので、思わず声が出た。
「なんでぇ。良く知っているような口調だな」
「ああ」
老人は愉快気に歩く。そのあとをロビーが続く。
「なんせミレイと儂は同じシルファへ向かった仲間だ。勿論、マドレーもな」
「へぇ…、そいつは知らなかった」
砦の門を潜る。潜れば中で動く兵士の姿が見えた。
しかしその数はいつもより少ない。理由は聞かなくても分かる。南の砦カリュに暴れ竜が現れたからだ。現れて以降、砦へ向かう道を兵士が往来している。その行き交う兵士に馴染みの顔が何人か見えると「よう!!」とロビーは声を上げる。上げながら先を歩く老人に声をかける。
「それでさぁ、他に誰が居たんだい?その時のシルファの旅の仲間に」
「仲間か?」
「ああ、そうさ」
装具の足が反転して老人が振り返った。振り返ると首を傾げた。
「うん、歳だな儂も。忘れてしまったわい」
言うと今度はまた前の方を振り返り、歩き出した。
「何でぃ」
ロビーは思った。
(いかに優秀な武人だとはいえ、やはり歳なんだな。昔の事を忘れるなんてな)
しかしロビーは振り返った老人の相貌を見ていない。老人の相貌は何かが深く刻まれている。そこには語るべき名を思い出した、その感情が浮かんでいたのだ。
老人が誰の名を浮かべたのか。
ふと、老人の足が止まった。
「どうした?」
若者が問いかける。
「ほれ、見ろ」
指を指している。
「何だ?」
ロビーが指差す方を見た。そこには野端に咲く白い花があった。行き交う兵士の靴に踏まれること無く、健気に咲いていた。
「おい、ロビー」
ん、と老人を見る。
「こいつを土事、あの端っこに植え直せ」
「えー??なんで俺が。服が汚れちまうじゃねえか??」
すると頭上に激しい痛みがした。それで目が痛む様に涙が出る。老人の太い腕の拳が花を指している。
「何度も言わすな。ほらやるんだ。まだシルファへ向かう一番荷駄隊は来ていないんだ。もしそいつらが来たらこの花は蹴散らされて無残な姿になるだろう。だからその前にやるんだ、分かったな?」
へいへい、と小さく呟きながら屈みこんで土を掘り起こす若者の姿を見て、豪快に笑った。
「そうだ、それでいい」
その声が切れた時、砦の外から声がした。
すこし慌ただしさを感じる。
(来たか…)
ローは肩を揺らす。武人の直感が物事を正確に捉えていることが分かるまで時間はかからなかった。
――来たぞぉ!!一番荷駄隊だぁ!!
砦の上で声が響く。
それが先程の門横の塔から響いているのが分かった。
それが風に乗って砦中に響き、その声に呼応するように兵士達が門へと殺到して行く。
幾人もの兵士がローの側を駆け抜けて行き先程の白い花があった場所を踏み荒らして行った。
その踏み荒らしたところにロビーが顔を出す。
「あーあ、あいつら。こんなに踏み荒らしちまって」
ローは何も言わず無言で微笑する。
「行くか、出迎えに。お前はあれに合流せねばなるまい」
「だな…」
ロビーが手をはたきながら土を落とす。
「ロー、あんたの言うとおりだ。もう少し遅ければあの白い花は踏み荒らされてめちゃくちゃになっていただろうな」
ははは、と軽い笑いを上げると若者の背を叩いた。
「いいかロビー。美しいと感じたら、自分のものにしなければならない。それは自分だけしか知らぬ場所へしまうのだ。見ろ、あの花は儂らしか知らぬ場所へ匿った」
装具の足が地面を踏んでゆく。
「いいか?もしお前が恋して誰かを好きになれば、いまのように自分だけにしか届かぬ場所に匿うんだ。匿って自分だけの水を与えろ。それがいつしか相手も気づくだろう…注がれてゆくものこそ自分達の深い愛情だと言うことがな」
思わずロビーの足が止まった。
老人は立ち止まらず歩いている。ロビーは老人の背を見つめた。再び砦の上で声がした。
見上げれば砦の上で旗が風に靡いている。
靡いている風が吹く先はどこに向かうのだろうか。
シルファへ向かうのか。
それとも自分達の未来へ向かって吹いているのか。
老人が自分に言った何気ない言葉にロビーは老人の人生に深く刻まれた何かを感じた。
それは今ではもう忘れてしまった愛した人の名ではないだろうか。
さっき自分が問いかけた言葉の答えを老人は心の中に仕舞ったのではないだろうか?
ロビーな何故かそう思った。
思うと駆け出した。
――自分は知っている。
ミレイの叔父から聞いているんだ。あの時、シルファに向かった荷駄隊の人々の事は。
(わざと、知らんぷりをしただけさ…)
ローは老人に追いつくと軽く背を叩いた。背を叩かれた老人は、思わせぶりな表情をして若者の顔を見た。
二人はやがて砦の門を出て兵士達の人だかりの壁向うからこちらに向かってやって来る長い列を見た。
それはアイマール王国旗を風に靡かせながら、シルファへ向かう一番荷駄隊の姿だった。
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