第40話

(その40)



 遠くで獣の鳴く声がした。

 それは夜風と混じり、若者の鼓膜を震わす。だが若者の鼓膜を震わすのは獣の声だけではなかった。

 女の嘆息交じりの言葉もベルドルンの鼓膜を震わした。


 ――父は『忌みいみご』つまりベルドルンあんたと同族ってことなのね…

 

 漏れた言葉の後に吐かれた嘆息は物事の大きさを捉えたということだけでなく、彼女の中の真偽を掴んだ事への安堵なのだとベルドルンは思った。

 それで女は何を思うのか、


 ――その答えを知りたくないか?


 そんな問いかけが夜の静まり返る帳の中で誰かが近寄りながら心を揺さぶろうとしている。

 ベルドルンは手を伸ばして木の幹に寄りかけてある長剣を手に取った。

 それを見て女が笑う。

「何?武人と言うのは何も危害を加えない相手だと分かってもそうして用心をするというの?」

 女の言葉にベルドルンは苦笑いする。

「かもしれない」

 言うや同じように短剣も手に取り、鞘からそれを引き抜いた。

 磨かれた刀身が煌めく。

 するとそれを女に手渡した。

 女は煌めく刀身を眺めながら、若者に言った。

「見事な刀身ね。あんたの国では優れた名刀というもの?」

 若者は笑うといきなり長剣を抜き、瞬時に女が握る短剣へと突いた。

 いや突くと言うことではない。

 素早い動きで短剣の切っ先と長剣の刀身を僅かに弾けさせたのだ。

 突然の事に女が驚く表情を見せた数瞬、火花が弾けて飛んだ。

 それから勢いよく刀身の先から炎が燃え上がる。

「こ、これは…」

 女の相貌が炎の中に浮かぶ。

 若者は驚く女を見ることなく木の幹から手を動かして、剣を支えとしながら立ち上がろうとする。

 その様子を浮かぶ炎の先から女が見つめていたが、何かを思い出したように、若者の背へと手を回した。それから若者の何か脇に固いものを入れる。

 その固いものがベルドルンの脇を支え、怪我をした左太腿に押しかかろうとする重さを分散する。

 炎を纏う短剣の明かりがその正体を照らし出す。

 それは杖だった。

「父のものよ。必要だと思ってね」

 女が若者に言う。

「でも…」

 炎で燃え上がる短剣を見る。

「こんな素晴らしい工芸品を持っているいるあんたにはこんなボロ杖何て必要ないかもね」

「いいや」

 若者が鋭く言った。その鋭さに冷気がある。

 女はその鋭い冷気に触れて一瞬戸惑ったが、しかし次の瞬間、直ぐに若者の身体を支えながらも、腰を低くして短剣を暗闇に構えた。

 夜風が何かを伝えている。

 若者は抜いた長剣をゆっくりと地面に卸していく。それに合わせるように呼吸が小さく整えられてゆく。

 脇に挟んだ杖が大地にめり込んでゆく小さな音が女に聞こえた。

 若者の四肢に力が籠って行くのだと、女は思った。思いながら自然と腰に手を伸ばして探り当てて行く。

 短剣の切っ先から伸びる炎が暗闇を照らす。

 若者が女に聞いた。

「この辺りでは中々手に負えないが獣が居ると聞いたが…、もし四足獣であればそれは何だ?」

 女が目を細める。

「そうね…、狼と言ったところかしら。でも彼らは闇雲に人間を襲わない。こんなにゆっくりと円を描くように迫って来るような知恵はない」

 獣の咆哮が聞こえる。

 それに伴い、何かが地面を鳴らして着実に暗闇の中から迫ってきている。

「リーズ、君はどこか来た?ここはこうした危険な奴らが棲む場所なのか?それとも私をここにおいて彼等の餌になるのを心待ちにしていたとか」

 若者が苦笑する。

 女は「そうね」と言って首を振る。

「馬鹿なこと言わないでよ。物騒だから呼びに来たのよ。ちなみに最初の質問の回答、大体、千歩少々と言うところかしら、我が家迄は…」

 答えるとリーズは短剣構えて、膝をゆっくりと折る。

「まぁ私一人なら、別にそこまで一目散で行けるけど…」

 ベルドルンが笑った。

「すまないと先に言っておく」

 リーズは笑った。

「でも、良かった。あんたの腕前を拝見することができて」

 最後の言葉が切れた瞬間、

 リーズの短剣の炎の明かりが届かぬ暗闇から突然、黒い影が襲って来た。

 しかし、その影は断末魔の叫びをあげることもなくリーズの背後から伸びて来た黒い手によって突き殺され、瞬時に暗闇へと投げ出された。

 それがベルドルンの目にも止まらぬ鋭い突きの一撃だと、血の臭いの中でリーズが理解した瞬間、腰から掴んだものを手早く短剣の炎の先に付けて、夜空へと勢いよく投げた。


 ――その瞬間、


 空が激しい爆発音と共に明るく照らし出された。

 その灯りに照らし出されて獣の達の眼が爆発する光を見たのが見えた。

 数は…

「十匹!!」

 言うやリーズは短剣を胸元に引いた。その声に合わせるようにリーズの背に戦場に似つかわしくない温かさが触れる。

「ベルドルン…」

 リーズが息を吐きながら相手に確認するように呟く。

「君の背は私が守る。この死地を抜けるまで、さぁ進んでくれ」

 ベルドルンの言葉にリーズが頷く。

 すると突然、風が切り裂くようにリーズの横から何かが飛び出してきた。

「リーズ!!」

 若者の声が暗闇に反射した瞬間、炎を纏った短剣が煌めきを放ち、血しぶきを上げた。

 獣が咆哮を上げて鈍い音を立てて地面に転がり落ちた。血しぶきを上げて痙攣する獣の姿が炎の明かりに揺らぐ。

 リーズがちらりと視線を動かして、素早く暗闇の深い所を探る。

 素早く転がる獣に止めを刺すベルドルン。

 返り血を浴びて、顔に朱の粒が飛んだ。

 しかし構うことなく、瞬時にリーズと背を合わせる。

 合わせながら息を整えて重なる背に向かって聞く。

「こいつは何だ?狼のように見えるが、少し大きい」

「ワーグね。狼の従妹みたいなもん、まぁ凶暴種といったことろかしら」

「ワーグ…?」

 ベルドルンが身体を反転させて長剣を暗闇に錐のように突き刺す。

 血の臭いと共に獣の絶命する叫びが響く。

 ちっとリーズ舌打ちする。

「ついこの間、この先の農家のマーリ一家、家族全員…幼子を含めて何者かに惨殺されていたのよ。…今思えば、こいつらが殺ったんだわ。これぐらいの徒党を組めば人間なんて物の数じゃない」

 怒気を含んだ声がベルドルンの背に伝わる。

「いいわ、ここでマーリ一家の敵を討ってやる!!」

 リーズの言葉にベルドルンが頷く。

「よし、ならば助太刀しよう」

 その返事に揺らめく炎の中でリーズは笑った。

 自然に「うん」と力強く頷くと短剣を力強く握りしめた。

 彼女は頷きながら、心を引き締める。

 そして心を引き締めながら不思議と心の中で大きな安堵が浮かんでくるのを感じないではいられなかった。


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