第90話

(その90)


 ――…だろうな。だがそれを知らねばリーズの死の真相も君は分からないままだ」


(何だと!?)


 心の空白ができた。

 この一瞬の空白、

 それは死を招き寄せる、

 此処は死地なのだ。

 ローがそう思った時、自分を狙うべき刃が蛇を思わせるような竜巻を伴って、胸に触れた。

 手が硬直した。動くはずの手が動かない。銃が音も無く静かに落ちるのが分かる。それだけではない。自分の胸を貫く、何かを感じた。

 それは冷たい、とローは思った。

 冷たすぎる。

 それは

 どこまでも

 どこまでも

 果てしなく、

 まるで自分を暗闇へ引きずり落そうとする冷たさだ、漆黒の常世の世界へと。

 ローの思考はそこで塞がる重たい瞼と共に途切れた。途切れると自分を刺し貫いた異形の戦士へ身体を寄せる様に静かに崩れ落ちた。


 ミライは見た。ローの胸を指し貫く細い錐のような長剣の切っ先を。それからベルドルンに雪崩架かるように崩れ落ちるローの姿を。

 声にならない絶望が全身を覆う。躰の中に力が入らない。身体の支えを押しのける様に嗚咽が湧き上がる。

 だが嗚咽は背後で叫び声をあげるシリィの金切声に瞬時に吹き飛ばされた。


 いやぁあああああ!!


 この世の恐怖を見た時の叫び。ベルドルンは崩れ落ちてきたローの身体を肩に抱えながら立ち上がる。


 ――シリィ!!


 ミライは自分の背を離れて歩き出す彼女の背を止めるだけの魂の重量が無かった。彼女は駆け出しながら弓を引く。

「良くも!!」

 駆け出す足元で砂が舞う。

「…良くも、祖父を!!」

 涙混じる声がミライの耳奥で響く。

 

 びゅるん!!


 風を切り裂くような音と共に矢が放たれた。だがそれはいつの間にローの肉体から抜きとられたのか、ベルドルンの手に握られたレイピアで弾き飛ばされた。

 だが、彼女の心中で荒れ狂う波は治まらない。

 シリィは細い指で再び矢を番えると再び放った。


 びゅるん!!


 だがその矢もローの身体を肩に抱えたベルドルンの剣で薙ぎ払われた。

 シリィは再び矢を弓に番える。例え、全ての矢が無くなろうとも、最後は自分の肉体事、相手にぶつかろうという気迫に溢れている。

 それが例え父であろうとも。

 仮初の敵に向かって。


「止めておけ…」

 ミライは声を聞いた。それはベルドルンの声。

「…シリィ」

 低く諭すように言ったベルドルンのレイピアの切っ先が僅かに揺れている。

 ミライはよろめく様に立ち上がる。シリィもまたベルドルンの声に歩みを止めて、ベルドルンと弓を構えて対峙する。

「私の剣は間違いなくローの心臓を突き刺した。もはや彼は戦うことは出来ぬ…」

 正鵠を得た無慈悲な言葉がシリィとミライを襲う。

「…だが戦うことは出来ぬが、僅かに動くことは出来る。死はまだ遠い…」


 ――どういうことだ?


 ミライはふらつく足取りで弓を構えるシリィの側まで来ると構えた弓に触れて押しとどめる。

 ベルドルンが何かを自分達に伝えようとしている。それは何か重大な事だとミライの直感が鐘を鳴らしている。

 それは一体何なのか?

 ミライは強張るシリィの横顔を見た。頬を伝う涙の跡が見えた。

 ミライは涙の跡に自分の決心をした。もしこの先に何かが起きれば、自分は隠された力を使ってでも、この闘争を止めるのだと。

 ミライは左目の瞼に僅かに触れると、ベルドルンへ問いかけた。

「…それは、どういう意味です?ベルドルン殿」

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