第18話

(その18)


 やすりをかけて角を丸くする。もう既に他の部品の角は研がれ、あとは今自分が研いでいるものだけを残すだけになっている。

 遠い山から昇った朝陽は既にミライの頭上で輝きを増している。

 昨晩は炉の前で寝た。

 別段、夜の野に横になることは気にならない。いや、むしろ自分にとっては好ましく、それは心の深い部分へ問いかける恵みの時だと思っている。

 野に寝れば暗闇に生きる小さな虫共の声や夜風が運ぶ動物達の息遣いが聞こえ、それは自然に対して恐れを忘れない自分の謙虚さと心の弱さ露呈させ、また認識させてくれる。

 それは己の傲慢さを無くし、また暗闇の未知に対して人間が未だ知らないことが多くあることを考えさせる。

 それはおのずから暗闇を作り出す自然に対して人間がいかに不完全な存在であるということを痛烈に知ることではないか?

 暗闇の深部に迫ろうと限りある知を巡らせようとする、それこそ人間が未だ不完全であり、完全になる為の道筋を求めようとすることを人間とは定められたものなのだと、深く知り得る機会であろう。

 眠りの微睡みはいかに人を哲学の賢人にさせることか。


 ――不完全を完全へと導くことは具師の定めではないか?


 それはミライにとって自己に対する問いでもあり、また同時に他者に対する問いでもある。


 では月夜の大地に頭を枕に眠る己に対して問いかけられた言葉はどうだというのか?


 広間に飾られた肖像画に対する貴殿の疑惑に比べれば


 ――貴殿が何故杖を突かねばならぬ程歩くことに不自由なのか、その隠された真の理由こそ・・


 余人に言えぬ深い理由を秘めてるのでは?

 

 ミライの心の深部を闇が覆う。

 その闇を老貴人の細く鋭い眼差しが貫いていた。

 

「貴殿の足音があまりにも不自然だ。左だろうか、それを前に出そうとすると足音が大きい。まるで進む先が見えぬために身体が揺れ動くのを無理に支えようとする力が掛かっているようだ」


 ――まぁ、老人の杞憂であればそれでよいが


 老貴人はそれを言い残して夜の帳へと去った。去り行く杖の影を踏む音に、鑢が触れて音を立てる。


 ――カチリ、


 全ての部品は研がれ、ミライの手には老貴人の問いかけに音を鳴らした鑢だけが物言わず唯静かに黙っている。


(剣士とはかくも恐ろしきものか)


 子息も素晴らしい剣士である。それは剣技もさながら言葉の切り替えし、間の取り方でミライは十分なほど感じている。

 その父は子息でも見抜けないミライのある身体的特徴を瞬時に見分けた。

 子息の剣が空を切り裂くものであるのなら、父は鋭い一撃を突くような剣士かもしれない。

 派手な剣技ではない。一撃で敵を鋭く突き殺す、まるで蠍が尾を突きさすような一撃こそが相手に死を与えるのだ。

 ミライは若者に言ったことを思い出した。


 ――父上は杖を使い大きな回転剣舞ができるのかもしれない。それは円を描くような殺人の剣技。

 しかし、それは間違いだったかも知れない。

 老貴人は一撃必殺の剣士であろう。

 自分の見当違いに心が赤面する。

 

(何と浅はかな思料なのだ、見当違いも甚だしい)


 ミライは鑢を不意に空に投げ出した。鑢が陽光に煌めく。


 ーーその刹那


 鑢が火花を放ち、弾けて空に飛ぶ。

 ミライの手が投げ出されたままゆっくりと空を掴んだ。

 自己嫌悪を嫌というほど嘲笑いたくなる自分がここにいる。

「礫ですか」

 声にミライが振り返る。

 若者が居た。両袖が長く刺繍の施された上衣に腰に剣を携えている。

「昨晩はここで夜を明かされたのですね」

 ミライは黙って頷く。

「お風邪を召されたりしては、わたくしはあのご婦人に言い訳ができません。ミライ殿を何事無くご婦人の元にお届けせねばなりませぬので」

 苦笑してミライが立ちあがる。

「いや、ベルドル殿、貴国の夜を直に肌で感じ取りかったのです」

 ミライが若者の肩に手を置いた。微笑して若者がミライに問いかける。

「いかがでしたか?我が王国の夜は?」

 ミライが一瞬だが息を止め、微笑して空を見た。

「良いものでした」

 ミライは答える。見つめる空に陽が煌めく。

 あの静かな月夜などいずこに消えたのか。ミライは手をかざす。

「不思議だ。夜というものはもうどこに消えてしまったのだろう」

 眩しそうに若者がミライを見る。

「ですがはやはりどこでも同じなのですね、きっと夜の豊かさというか恵みの時というのは。それは誰にでも平等にあるものかもしれない。この太陽の陽のように・・。しかし、夜は昼とは違う、あの夜の闇の中に身体を潜ませると色んなことを考えます。そう、様々なことを。それはまるで暗闇の中にあるその先の闇の中の真を知りたくなるような・・」

「それは、つまり・・?」

 若者が不思議そうにミライへ問いかける。ミライの語る事はさながら年老いた賢人の様で戸惑いを感じた。

 ミライは首を振る。

「いえ、何も。少し何かにとらわれすぎたようです。さぁもう父上の装具はできました。今から伺ってこの装具を試していただきましょう」

 ミライは微笑する。太陽に雲がかかりその微笑に影を落とした。


 互いの闇を問いかけぬ。



 ――それが賢明であろう?


 ミライは老貴人が言葉の端に匂わせた優しさに何故だが不思議さを感じらないではいられなかった。

 

 今は不問にせよ。

 それは互いに闇を持つ者として。

 答えを急く必要もあるまい。


「ミライ殿」

 若者の声にはっとして顔を上げた。その顔に再び若者が声をかける。

「いかがしましたか?」

(今日はどうかしているみたいだ)

 ミライは腰を下ろし、出来上がった装具の部品を袋に詰め始めた。ミライは袋に部品を詰めると立ち上がった。

 歩き出そうと一歩を踏み出す。

 すると若者の細くて白い手が伸びて来た。

「ミライ殿、杖をお忘れです」

 ミライは顔を上げた。


 ――その時のミライがどのような表情をしていたか。


 それは館の窓から二人を見ていた老貴人にしか分からぬことであった。

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