第74話

(その74)



 流れゆく雲。

 どこまでも続く夏の空。


 ――人生がいつまでもこの夏の様に輝く陽に照らし出されていれば、どれほど良いものか。


 ロビーはマントを側に置いて荷駄車に身体を横たえながら、空を見つめている。

 アイマールは山岳を切り開いた国。

 穀物を植え耕す為に、日々汗を流して山岳の斜面を先祖代々切り開いてきた。それは今の自分達世代にも引き継がれ、辛苦の労働の汗はアイマールの大地に滴り落ち続けている。

 それだけではない。この山岳を切り広げて来た先人達は小さいながらも王国を持った。

 ――アイマール

 王国の名の由来は遥かこの地に生きたマール人の再来(アイ)という意味だった。マール人がいつ頃この地に現れたかは知らないが、ここに小さな邦を作った。しかし彼等はやがて預言者イシュトに導かれて多くがこの地を去った。

 つまり今この地に生きる人々は僅かに残ったそんなマール人達の子孫と言える。そんな山野に散らばる小さき家族が集まり、互いを助け合うことがやがて再び小国になり、やがて形ばかりとは言え、王家や軍を持ちアイマールを建国した。

 ただ、小さき山岳国家に不足する物があった。

 それは塩だった。

 岩塩では小さくも王国のすべての人々に行き渡らない。塩が無ければ狩り得た獲物の肉も、その他の作物も腐り落ち、長くはもたない。夏が過ぎれば厳しい冬が来る

 その冬を乗り越えるための保存の為に、塩が必要だった。

 北方に王国があることをアイマールの人々は知っていた。その国家を『シルファ』と言った。

 遥かな時代に辺境を旅した預言者イシュトが記した『ヨコブ記』にも既にその国家の名は在った。

 海上都市シルファ。先人達はその国と国交を持とうとした。なぜならば彼の地には潤沢な海を灌漑してできた『塩』があったからだ。しかし南辺境の地に国とも邦ともいえない小さな王国を、強大な国家が国交を持つかどうか、それは甚だ難しいことではあったが、シルファはそれを了とした。

 シルファの意図すべきところは、南部地方の防御。野蛮であれ新興国家ができたのであれば外部脅威に対する一つの防波堤にしたいと言う、至極明確な意図だった。

 但し、それはアイマールに対して条件付きだった。


 一つ、貴国アイマールは南よりシルファに入国する何人の観察をすべし。

 また善良なものにはシルファへの入国手形を発行し、善良ならざる者は排除すべし。

 一つ、シルファが軍事上の危難が迫れば、全力を持って援護すべし。

 一つ、『塩』の取引において貴国アイマールの産物を献上すべし。

 最後に貴国アイマールにおいて王権が天に帰されし時は、シルファの属領とする。


 ロビーは帽子を目深く被った。それから思う。

(俺達はその条件付きの一つとしてこうしてシルファへ向かっている…)

 夏の眩しい日差しを避けながら、ロビーは思い続ける。

(結果として、いつの頃からか、その役目が若い連中の仕事になった。それがこの厳しい山岳国家の日々を忘れることができる唯一の機会…それは厳しい冬のようなアイマールの生活から訪れたまるで人生の短い夏のようなもの…)

 帽子を手で掴むと半身を起こした。

 それから辺りを見回す。周囲はルーン峡谷の緑豊かな山野が見える。

 そして突き出して伸びる鷲の嘴。

(ロー…)

 先程砦で分れた老兵はあの場所で道行く荷駄を護るため、銃を構えて見張りを続けているだろう。

(ローもシルファへ行ったと言ったな)

 寡黙に彼の地で銃を構える老人をロビー思った。

 老人は何から我々を護ろうと言うのか。銃身を構えて見つめる先に映る何者から、一体。

 それはあの化け物。

 ロビーがぶるっと身震いした。思い出したの。あの竜の姿形を。

(いいか、やっこさん。こっちに来てくれるなよ。こちとら短い夏の楽しみが待ってるんだ、頼むぜぇ)

 願う様な気持ちで帽子を被り半身を荷駄の上に戻そうとした時、声が掛かった。

 いつの間にか横に騎馬が並んでいた。その騎乗した男が声をかけてきた。王国の護衛の騎士だった。

「おい、ロビー。足が痛いと言って荷駄に乗っているが、本当は歩けるんじゃないか」

 兜を上げた髭面が笑う。別にその口調に何ら咎めるような感じはない。むしろ穏やかで旅を愉しんでいる口調だった。

 ロビーが振り向き、軽く帽子を上げて答える。

「なんせ,カリュ砦で負傷して帰って来ていきなりの長旅だ。足が痛くなるよ、もう本当に歩けねぇ」

 髭面が笑う。

「そうか、カリュに居たか?」

 それから咳き込んで小声で言った。

「…という事は暴れ竜を見立ったことだな」

「ああ、二匹な。とんでもねぇ化け物さ」

 指を二本立てて言う。それから不意に笑いだす。それを見て髭面の騎士が不思議な顔して問いかける。

「何だ、ロビー?どうしたっていうんだ。急に笑い出して」

 ロビーはくっくっくっと腹を抱える。

「おいおい、どうした?」

「いやね…」

 言ってから顔を帽子の中から覗かせる。

「あのもう一匹の竜もベルドルンと言わなきゃいけねぇのかと思って、でもよ、可笑しいだろう?ベルドルンは一匹だぜ、あの一匹は何ていえば良いんだ?あんたら騎士団と王は何というのか?それともすっかりそんなことはてんで忘れちまって、いまもほっぽりだしなのかと思うとさ、何か愉快で。それで笑い出したのさ」

 髭面がああ、と言いながら顎髭に手にやる。

「…ふむ、成程なぁ。確かにロビーあいつは名が無い」

 そこで再びロビーが笑う。

「つまりあいつは名無しってやつかい。次に二匹現れたら、片方は名無しのまま呼びつけるしかねぇぜ!!」

 そう言うロビーの顔を見て髭面の騎士が困った顔をする。するが「そうするしかねぇ」と言って。ロビーと顔を合わせると豪快に笑いだした。それに釣り込まれるようにロビーも笑う。だが、笑いながらロビーが不意に何かを思い出したように騎士に聞いた。

「そもそも、何であの暴れ竜をベルドルン何て言うんだい?ベルドルンは俺達のマール語でもないだろうにさ」

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