第75話
(その75)
「確かに」
髭面の騎士が真面目に答える。
「どうしてさ」
素朴な疑問を若者から受けて騎士がふぅと息を吐いた。
何かを探るよう様な目をしている。おそらく記憶の断片を探そうとしているのだろう。やがて何かを見つけたのか、ロビーの方を向くと話し出した。
「あの時、軍隊は狭い峡谷に隊列を組み、ローの放つ銃で奴が撃ち落とされたら、一気に騎馬もろとも奴の巨体に槍事ぶつかり、峡谷へと丸ごと落ちる…そんな犠牲を踏まえた、無茶な戦いだった」
「無茶な戦いだよ」
ロビーが目を丸くする。
「当り前さ、今まで誰も空を飛ぶようなあんな怪物と戦ったことなんてない。そもそも竜なんて見たこと無かったんだ。だから作戦なんてあるもんじゃない。唯、ただ、身を犠牲にする、それだけだった」
それから騎士が指を鷹の嘴へ伸ばす。
「ただ竜に知られない様、ローをあの場所へ潜ませた。それだけが唯一の作戦らしい、作戦だったが…」
騎士が唾を飲みこむ。
「暴れ竜は嗅覚が良いのか…あの鷹の嘴へと飛んで行ったんだ。そこにはローが一人銃を構えている。或るいは奴はそれだけが唯一自分に危害を加える恐ろしい物だと感づいたのか、ローへ向かって俺達の前から一目散に反転して飛んで行った」
騎士が険しい表情になる。
「そう、ここからあの鷹の嘴迄はどんなに早くても刻が掛かりすぎる。だがローを一人戦わすわけにはいけない。それで数人が駆け出した。その中に俺もいたんだ…」
「へぇ?」
ロビーが騎士の相貌を見る。見れば頬に大きな傷があるのが分かった。もしかすると髭面はあの戦いで負った傷を隠す為に、この騎士が作り出した外面なのかもしれない。
「…俺達は砲弾の音が響く岩道を急ぎ駆けあがり、何とか鷹の嘴へ足を踏み入れた。すると視界に映ったのは全身血まみれで横たわるローの姿…。振り返り空を見れば、遠くへ去ってゆく暴れ竜の翼が見えた。そう、ローは独力であの暴れ竜を追い払ったんだ、このアイマールから」
ロビーは押し黙りながら騎士の言葉を聞いている。
「それから俺達は急ぎローに駆け寄ったが彼の姿は酷い物だった。足の装具は粉々に壊れ、息は絶え絶えだった。それから我々に運ばれながら峡谷を下ったのだが、意識朦朧の中で、ローはしきりに言葉を漏らし続けたのだ…」
「何て?」
ロビーが身を乗り出す。自分が知らない真実がそこにあるのを聞き逃してはならない。
「…ベルドルン、ベルドルン…とな」
「ベルドルンってローが言っていたのか?」
「そうだ」
騎士が髭を撫でる。
「それがつまり…あの暴れ竜の名の謂れになったのだ」
「…そうだったのか、ローが漏らし続けた言葉が…ベルドルン…あの暴れ竜の名になったのか」
身を乗り出した身体をロビーがゆっくりと戻してゆく。それから鷹の嘴を見た。
自分の眼には今あの場所で身構えているだろう老兵の姿は捉えられない。
しかし、その時の老兵の姿がまざまざと脳裏に浮かび上がる。
騎士が話を続けた。
「今思えば…もしあの暴れ竜がシルファへ向かえば我らは盟約を違えることになる。つまりシルファへの脅威を払うことができなかったということは、…いわばシルファから『塩』を得ることができないことになり、少ない岩塩だけではやがてアイマールの人々はすなわち厳しい冬を越す食料を保つ術なくやがて『死』を招くことになる…」
騎士の手綱を握る手が強くなったのか、騎馬が首を上げる。
「それもシルファへ向かう荷駄隊の夏至の頃に現れたのだから、我々は何がなんでも、この身を犠牲にしてあの暴れ竜を仕留めなければ…、いやそれが出来ぬまでも追い払わなければならなかった…」
ロビーは騎士の声に帽子を深く被りなおした。
何故か恥じ入る自分を感じた。
先程迄、シルファの栄華を思い浮かべ、そこで過ごす日々に想いを馳せていた自分。
――思わなければならない。
自分達の夏は厳しい冬を超えて来た人々があってこそなのだ。
その時だった。
先頭を行く隊列の先で声が上がった。ロビーが悲鳴にも似た声に振り向く。
声が隊列を波打つように走って来る。
危険なものを見つけた、不安と悲鳴交じりの怒声。
ロビーは身を翻して路上に降りると、声が捉えている危険を探そうと懸命に周囲を見回す。
「あそこだ!!」
髭面の緊張した声がロビーの鼓膜を震わす。
見れば騎士が指差している。
――そう、空のある一点に向かって。
ロビーは被っていた帽子を素早くフード下へねじりこませると騎馬で駆け出し始めようとした騎士の背に乗り、共に駆け始めた。
駆け出す馬上の上でロビーは方々に叫んだ。
「誰か!!俺に!!弓矢を貸してくれ!!」
悲鳴の中を騎馬で走る。悲鳴が大きくなったのはおそらく空から迫る姿をはっきりと見えたからだろう。
ロビーは空を見た。視線の先に空の一点から段々と迫りくる姿がよりはっきり見えた。それを眼に焼き付けるとロビーはもう一度大声で叫んだ。
「誰かぁぁああ!!!俺に弓矢を貸してくれぇ!!」
すると誰かが投げた弓と矢筒が視界に見えた。ロビーはそれを手に取ると弓を引き、素早く矢を構えた。
もう、そいつははっきりとその表面の鱗すら見えることができた。
――名前すら言うのも忌々しい。
ロビーは奥歯を強く噛んだ。噛んで一気に矢を放つ。
――当たれっ!!
噛みしめた歯を開いた。
――ベルドルンめっ!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます