第73話
(その73)
「お前が私に突きつけた刃は自らの誇りに誓った剣だった。そして…それは以後のお前の生涯でもう私に向けられることは無いだろう。それは私も然り」
言ってレイピアを引き抜く。
「父と子が争うことなぞ、無意味だ」
「ならばこそ!!」
若者が叫ぶ。眠れる獅子を揺り動かす優さを呼び覚まそうと。
「父上!!」
「行かせてもらえぬか?ベルドル」
装具が大地に突き刺さる音が響く。
「ローも戦場で待っている」
満面に浮かぶ瑞々しいまでの美しい微笑。
年老いて尚、これほどの美しい微笑を何故、人は浮かべることができるのか。
「我らは武人、そして戦士。戦場こそが互いに全てを分かち合える場所なのだ。『死』こそが最大の友であり、母である。その隣り合わせの死地で互いに力剣を交え、語り合えるときを生涯で持ち合える我々は何という幸福だといえよう。それはまた『愛』もそこにあるの認め、それは互いに分ち得た『愛』を再び結びあえるともいえるのかもしれない。過去に分ち割った『愛』をな…」
――愛…?
ならばこそ…
「父上、母を愛しているのであれば…」
若者が父を真っ直ぐ見据える。
「…同じように私も愛して下さい。いや私だけではない…、妹を…シリィも…」
言葉が喉に詰まる。
「…愛すべきものを失った悲しみの中でシリィや私が生きなければならない…その責任の重大な意味を考えてください!!」
獅子が眼差しを息子に向けた。
その眼差し無限の優しさが溢れている。しかし放たれた言葉はまるで獅子の牙のように、若者の心に突き刺さった。
「私もローもその責任を背負っているのだ。悲しみこそが全ての連鎖を止め、次の世代への相応しい『愛』を生み育てるという責任をな…」
――悲しみこそが、愛を生み育てる…?
「若いな、ベルドル」
父の声が響く。それは長剣の弧を描く様にベルドルの心に滑り落ちて来る。
「お前は既に見事なひとかどの剣士だ。そしてやがていつかその剣をお前は誰かの為に振るう時が来るだろう。しかし、今は未だ足りぬものがあることを知れ」
強い言葉にベルドルが顔を向け、父を見た。彼の相貌に森の木々の隙間から洩れる陽が当たる。
ベルドルンはその相貌に何かを見つけたのか、深く頷いた。
「…約束の刻限がもう近い。鷲の嘴にもこの降り注ぐ陽が見えている筈だ」
ベルドルンは胸を叩く。
「この私の心臓がどれほど持つか、お前にも分かるだろう?竜人族(ドラコニアン)の持つ人間の心臓と竜の心臓。この二つが竜戦士(ドラゴンウォーリア)として変身した私の体内で共に共鳴して動く時間はこの老体には少ない。大量の血液は二つの心臓に奪われ、やがて私は倒れ落ちるのだ」
「…それ程までにして『決着』が必要なのですか」
掛ける言葉がもはや意味のない物である事を理解しつつも、それでもまだ賢明さを求める。
「必要とかそういうものではない。これは運命なのだ。私とローとの」
言ってからベルドルンは息子に背を向けると静かに歩き出した。
装具のつけた足を自らの足として歩く姿は、傷を負った古獅子ではなく、若々しい力みなぎる獅子のような足取りだった。背を向けた父の声がベルドルンに響く。
「…いいか、ベルドル。予定通り、お前は翼竜(ワイバーン)で旅団を襲うのだ。だが決して犠牲者は出してはならぬ、良いな。彼等は我らの決闘の観客者なのだ」
「父上…」
自分を呼ぶ声に僅かに立ち止まる。それからベルドルンは穏やかに言った。
「私はお前を愛している」
不意にかけられた父の言葉。ベルドルの心が激しく動悸する。
父は歩き出す。しかし再び、不意に立ち止まった。
その間に少しの躊躇があった。
賢明さが獅子の心を震わせたのだろうか。
それとも…
ベルドルが身体を乗り出す。
父が何かを言おうとしているのが分かった。
それは…、
背を向けた肩が揺れた。
「娘にも愛されていたいと私は願っている」
言い終えるとベルドルンは静かに歩き出した。
森の奥へと静かに進む父を見つめる息子の目に背から伸びて来る翼が見え始めた。
それはやがて大きく、大きく広がり、翼はやがて銀色に輝きだすと風を巻き起こした。
そう、父は竜戦士(ドラゴンウォーリア)に姿を変えたのだ。やがて強い風が瞼に吹くのを避けるように手をかざした直後、父の姿は息子の視界から消えていた。
ベルドルは一人残された強い風の中にいつまでも父の言葉を探している自分を感じないではいられなかった。
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