第86話
(その86)
ずしりとした重さを感じる手首に力が籠る。
「ぬぉぉぉぉぉおお!!」
気合と共にローは銃身で受けた相手の剣を力任せに押し上げると素早く半身を深く沈め、弧を描く様に足を背面に蹴り上げる。
蹴り上げた先に相手の剣の切っ先を感じて勢いよく剣を飛ばそうとしたが、相手は剣を回転させて、ローの力を刀剣の先で殺し、今度は素早い突きを繰り出した。
ローはそれを瞬時に感じて、自分の身体を反転させると、相手の間合いから逃れようと後方へ飛ぶ。
だが、年老いた武人はしぶとい。
彼は後方へ飛びながら手にした小銃の撃鉄を引こうと指を撃鉄に掛ける。
それは不意なのか意図的なのか、それとも戦闘の偶然の流れなのか、相手にも分からない程のごく自然な動きで自ら相手を小銃の射程範囲に収めた。
本能が肉体の反射神経を呼び起こすまで時間はかからない。
腕を伸ばして片膝を突くのと同時にローは引き金を引いた。
バァァアアン!
だが、
しぶといのは互いなのかもしれない。
ベルドルンは相手を突いたレイピアをそのまま勢いを殺すことなく地面に深く突きさして、装具の足で力任せに地面を蹴り上げる。
身体を回転させて弾丸を避ける姿はさながら大木を昇る蛇のような動きに見えた。
だが彼は避けるだけに空へと逃げたのではない。
翼をはためかせ、僅かに空気をためると今度は鷹のような素早さで手刀をローへと繰り出した。
勢いよく眼前に迫る手刀を間一髪で躱すとローは横跳びに飛んで地面を転がるようにして起き上がり、素早く銃を構えた。
だが構えた時、自分の鼻さきにひんやりとした冷たさを感じた。
そこにはベルドルンのレイピアの切っ先が在った。いつ地面から抜き取ったのか、殺人剣の切っ先がローの面前に在った。
二人は互いに面前に剣と銃を突き付けて対峙している。どちらも一つの動きで相手の生命を容易く奪うことができるだろう。
互いに死地に居ると言える。
死地に居て、不思議だが互いの面前にはあきらめという悲壮感はない。むしろ喜びが伝わってくるような、そんな声が聞こえてもおかしくはない。だからかもしれない。ローがどこか可笑しくて仕方ないとでもいう様にベルドルンに声を掛けた。
「余程、暇だったのかのぉ。互いに身体を鍛えて日々怠らずの成果かな?この状況と言うのは」
ベルドルンが答える。
「そうだと言えるのでは?」
相手の答えに思わずローは笑みが出た。
「…どうかな。年老いたこの躰では出来る事といっても限られている。こっちはお前の様に身体を竜に変えられない忌み児なんでな。自然、人間としての限界があるだけ、寸分、お前に分があるだろう」
ローの言葉にレイピアの切っ先が音も無く揺れた。揺れる切っ先が僅かに上がる。
「…忌み児であろうとも、竜人族(ドラコニアン)には変わるまい」
切っ先がローの眉間に向けられた。
「竜人族(ドラコニアン)には変わるまい…だと?」
ローの瞼が細くなる。
「では聞こう、ベルドルン。ならばこそ…何故、リーズはあのような悲劇に見舞われなければならなかったのだ?」
レイピアの切っ先に影が掛かる。その影が問いかける。
「なぁ…ベルドルン?何故だ。リーズは俺の子だ。それはつまり竜人族(ドラコニアン)には変わるまい。それなのに何故、あの子はお前の子を宿して、尚あの悲劇的な死を迎えねばならなかったのだ」
「…ロー…」
僅かに切っ先に架かる影の重さだけ、剣が下がった。
ベルドルンは激しい胸の痛みを感じた。
それは自分の中で竜の心臓(ドラゴンハート)が激しく脈打ち始めたからだった。
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