第85話
(その85)
翼竜(ワイバーン)の姿を見て動揺した人馬の群れは今や整然と峡谷の谷壁の方へと荷物引き、その隙間下に人体を次々と隠し、小さきながらも出来る限りの防備をしている。
ベルドルはそれを見て感心する余裕が有る一方、先程自分を狙った射者の姿を探していた。
だが、
見えぬ。
ベルドルは翼竜笛(バーンリュート)を鳴らす。音鳴き響きが翼竜(ワイバーン)の鼓膜を震わす。
ベルドルの瞼が薄く閉じられる。
――低く、峡谷の谷間をすれすれに飛ぶのだ。
翼竜駆戦士(ドラゴンライダー)の言葉無き意思に反応したのか翼竜(ワイバーン)は分厚い鱗の下の目を開くと空の一点から急降下し、やがて翼を人馬すれすれに、横殴りの風を巻き起こして加速して峡谷の隘路を飛行する。
過行く後方で巻き上がる砂塵に恐れおののく人々の声が聞こえる。
だが、矢は来なかった。
空へと舞い上がるベルドル。
――もう一度だ。
再び翼竜笛(バーンリュート)を鳴らす。
翼竜(ワイバーン)は意思に沿うように空に半円を描くと、再び翼を広げて人馬すれすれのところを加速する。
先程巻き上げた砂塵がベルドルの瞼にぶつかる。
砂塵巻き上がる中をベルドルは四肢に力を籠めたまま長剣を身構えた。
砂塵交じる視野に映る人馬の姿が分かる。
恐れおののく人々の顔、いやそれだけではない。
ベルドルは見た。
勇気を奮わせて愛すべき者たちを守ろうとする騎士たちの誇り高き顔を。
その誰もが既に恐れを捨てている。
それどころか馬上のものは皆剣を抜き、もし自分が彼等の愛すべき者を襲わんものならば、身命を賭してでもこの巨大な翼竜に挑もうとしている。
――小さくあろうともそれが何者であろうか!!
礫のような意思がベルドルの長剣に弾けて飛んだ。
見よ、
ベルドルに笑みが浮かぶ。
巨大な存在相手に勝利がかなおうがかなわないかそんな思いは捨て、例え剣が折れ歯だけにでもなろうとも戦うのだという面構えの男達。そしてその誰にも見える山岳の陽に焼けた顔よ。
感ずる、戦場に揺れ動く戦おうとする者の気高き意思を。
ベルドルは感動を受けた。
戦士として願う事の無き深い感動がベルドルを包む。
ここは人間の王国アイマール辺境の地、ルーン峡谷の森。厳しい山野を切り開いたマール人の末裔が切り開いた山岳王国。
誇りとは、
種族を越えてこれ程の感動を伝えるものか。
それが自分自身の全てをさらけ出そうにもさらけ出し切れても足りない戦場だからこそ、互いに全てを越えて交わることができるのかもしれない。
戦場もまた
深き愛を育もうとする母の胎内なのかもしれない。
――我らは武人、
砂塵舞う中に声が聞こえた。
――そして戦士。
(父上…)
ベルドルは剣を伸ばす。
――戦場こそが互いに全てを分かち合える場所なのだ。
ベルドルは頷く。頷きながら父の孤影を心に浮かべる。
――『死』こそが最大の友であり、母である。その隣り合わせの死地で互いに力剣を交え、語り合えるときを生涯で持ち合える我々は何という幸福だといえよう。
心が広がる。
それは孤影を追って、その中に潜む影を見つけようとしている。
――それはまた『愛』もそこにあるの認め、それは互いに分ち得た『愛』を再び結びあえるともいえるのかもしれない。
ベルドルは僅かに息を吸った。やがて薄く目を開く。そこに影を追った狩人の厳しさを見つけたことを、恐らく追われた影は知る由もなく。
――過去に分ち割った『愛』をな…
見つけたぞ。
ベルドルは影の目を見た。
それとほぼ同時に矢が飛んできた。
ベルドルは気合の声と共にそれを横に薙ぎ払った。長剣は父の孤影を切り裂き、その奥に潜む影が自分を狙って放った矢を切った。
いや、切った筈だった。
(これは!!違う!!)
そう思った時、ベルドルは翼竜(ワイバーン)の身体ごと地面に激しくぶつかるのを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます