第88話
(その88)
地面の冷たさが膝から伝わる。腹部に残り続ける痛みを抑えながらミライは背に置かれた手を唯一の灯として、自分を奮い立たせている。
顔を仰げて垂れる黒い前髪のから見える自分を置き去りにした存在。
しかし彼らが作り出した空間は正に戦場とも言えよう。もし自分が数時でもそこに居れば屍になっていたかもしれない。
いや屍ならばまだいい、彼等から互いの誇りがぶつかり合い戦場を汚す邪魔な存在として罵られるよりかは。
繰り広げられる互いに手を見るうちにミライはそう感じないではいられなかった。
勿論、自分の背に不安を感じながら手を置くシリィも。恐らく彼女にとっても今はミライの背だけが混迷するこの場所を照らす唯一の灯だろう。獣の存在すら感じ得ない暗い森奥を進む揺れ動く蝋燭の明かり、まさに二人の触れ合う場所にある温もりはそうだった。
だが、
自問する。
――僕は間違っていたのか?
「何故、互いに争うんだ?」
僕は問いた一人の老人に。
「…家族だろう?違うのか?」
まだもう一人の老貴人に。
争う理由が何故必要なのだ。確かに彼らが武人であることは分かる。若しかすれば戦場での高鳴りこそが自分を解放させ、全ての蟠りを捨てさせる場所だと言うのは何となくだが分かる。
自分は職人である。具師としてあらゆるものを生み出す。生み出すがまた他のあらゆるものに敬意をもっている。自然の生命の輝き、路傍の石の何も言わぬ姿形や木霊する木々の囁き、それだけではない、先人たちが作り上げたあらゆる装具や武具、生活に至るとことにそんざいする工芸、それらに感動する度、自らが解放されて新しい閃きを感じる。それは自分自身にとって最高の時だろう。それと似た感覚で推し量れるのであればこそ、武人が戦場の中でこそ互いの心を解放した思いをぶつかり合わせることができるのが最高の時だというのは分かる。
だが命のやり取りが必要なのか。同胞として、家族として。
幼き時、祖父と小さき草原(リッドガルド)で空鷹(ホーク)を見て語った。全ては同じものから生まれている。我らは種を越えて同朋なのだ。
――僕達は家族なのだ。
「…あの子はお前の子を宿して、尚あの悲劇的な死を迎えねばならなかったのだ」
老人の声が聞こえる。ミライは戦場に響く老人の声から心の奥深い底で眠る蟠りを感じた。
それは過去を閉じ込めようとしても閉じ込められない死者の棺の蓋があった。そこに眠る人の美しい貌をミライは覗き込んだ気がした。
その美しい人の貌。
草花の中で静かに陽の光に注がれて眠る人よ、
あなたは誰。
激しい剣戟と銃声の鳴る音が響いた。いやその中に何か激しく脈打つ鼓動がする。それは自分の体内にもあって、同じ行動として共鳴している。脈打つ血流が激しく音になってゆく。
バァァアアン!
思惑を吹き飛ばす銃声が響く。そう、ここは戦場なのだ。一泊の間すら互いの命を落とす瞬間なのだ。
ローとベルドルンは自らをさらけ出して、空に台地で激しくぶつかり合う。だが、ミライには二人が肉薄してぶつかり合い、互いに鳴り響かせる音の中にどこか不思議に喜びに溢れていると感じないではいられなかった。
良くも互いにここまで生きていたな。
良くも互いに長き時を同じ蟠りを持っていたな。
良くも、
良くも…
あの子を愛してくれたな。
「お前こそ」
「君こそ」
ミライは聞いているのだ。互いのぶつかり合う響きの中で二人の声無き声を。
――我らは武人、
不意に脳裏の誰かの声が響く。
(…誰だ?)
砂を浴びたざらつく声。
――そして戦士。
父上…と誰かが剣を伸ばした。
――戦場こそが互いに全てを分かち合える場所なのだ。
頷く者が居て頷きながら孤影を心に浮かべる。
――『死』こそが最大の友であり、母である。その隣り合わせの死地で互いに力剣を交え、語り合えるときを生涯で持ち合える我々は何という幸福だといえよう。
ミライの中で響く声。まるで孤影を追って、その中に潜む影を見つけようとしている。ミライは目を閉じる。
(…誰だ、誰かがここにいるのか?)
シリィがミライの変化に気づいて声をかける。
「ミライ!どうしたの…?」
不安げな眼差しが若者鼓膜に響く。
――それはまた『愛』もそこにあるのを認め、それは互いに分ち得た『愛』を再び結びあえるともいえるのかもしれない。
ミライは目を開いた。
――過去に分ち割った『愛』をな…
「誰なんだ?僕に語りかけるのは!!」
ミライが声を上げた時、ベルドルンの声が鼓膜を震わせた。
低く、ミライとシリィの深い部分に。
まるで眠りにつく死者を起こさんばかりの響きで。
「…だろうな。だがそれを知らねばリーズの死の真相も君は分からないままだ」
その声にミライとシリィが顧みた時、二人には声を残してベルドルンがローへ向かって凄まじい竜巻を背負った錐のように飛びこんでいくのが映った。
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