第79話
(その79)
ベルドルは僅かに首を捻らせた。
捻りながら先で空へと消えゆく存在を瞬時に網膜で認識する。
――これは長矢…
明らかに矢は自分を正確に狙って放たれた。
視線を眼下へ向ける。視線の先に驚きで動揺する人馬の群れとそれを制止しようとする騎乗の騎士達の姿が見えた。
ベルドルは瞼を細め意識をその人馬の群れの中に集中させる。集中して人馬の波の中で自分が今期待すべき姿を探す。
だがそれは見つからない。手綱へを握る手に力が籠る。
動揺する人馬の群れは騎乗の男達が発する声で幾分かの冷静さを取り戻したのか、整然として峡谷の谷壁の方へと荷物引き、人体を護る壁にして、その隙間下に人体を次々と隠していく。
それを追う視線で見つめるベルドルは僅かに微笑む。
(…存外だが、隘路の防御としては悪くない)
微笑は彼等に対する敬意である。山岳王国の旅団なぞ軍行動ができる程訓練は出来ていまい、とベルドルは思っていた。翼竜(ワイバーン)を見れば烏合の衆としててんでばらばらに離散するものだと思っていたが、確かに騎士が居るとはいえ、こうした整然として行動が出来るのは、やはり余程どこかでこうした訓練を積んでいたのだと感じないではいられなかった。
それはもしかしたらベルドルン対策として訓練されていたのかもしれないが、山岳で生きようとする人々の自負と誇りが、こうした危急の場面で結束の強さとして自然に現れるのかもしれない。
思えば、初めて祖父を訪れた夜、妹のシリィの俊敏とした動き、ミライの落ち着いた動と感情の流れは見事だった。
「…山岳王国アイマール…」
ベルドルは睫毛に吹かれる風の下で呟く。
(この国に森茂る木々の狭い隙間に生きる山野の獲物を追う弓矢の優れた手練れが、何人いてもおかしくはない…)
そんな優れた弓手にかかれば空飛ぶ小鳥なんぞ簡単に射落とすことができるだろう、猶更、空飛ぶこの巨体の翼竜(ワイバーン)なんぞは…。
風を切る翼竜(ワイバーン)の翼が今度は眼下の視界を遮る。手綱は緩めず、ただ右足に力を籠め、軽く踵で翼竜(ワイバーン)の首を蹴る。翼竜駆戦士(ドラゴンライダー)の意思はそれで伝わる。翼竜(ワイバーン)は空へと上がりその一点で右に折れる。
その時、巻き上がる翼の風を切るように矢が迫るのをベルドルは五感で感じた。
――もし自分であればどこかで旋回すると予測してその動きが緩慢になる瞬間を狙って矢を放つだろう。
射手の考えを捉えた長剣の切っ先が弧を描いて、矢を叩き落す。翼竜は右に折れて眼下の旅団へと迫り行く。迫り行きながらベルドルは翼竜笛(バーンリュート)を唇に加えて音鳴き響きを鳴らす。
翼竜(ワイバーン)は加速して狭隘の道に砂塵の風を巻き上げる。その砂塵がまるで竜巻の様に旅団を襲う。砂塵交じりに竜巻が人馬を揺れ動かし、所々で悲鳴が上がった。
湧き上がる悲鳴の中を黒き竜が過ぎてゆく。
(…襲いはしない。あくまで時間を稼ぐだけなのだ、父と…祖父との…)
思いを巡らせたその刹那、
ビュュルン!!
僅かな心の逡巡を狙ったかのように矢が砂塵の中から現れた。
ベルドルは僅かに動揺した。
その動揺した分だけ、動作が遅れた。
まるで自分の考えの呼吸が相手は知っているのかとでも言いたくなるような、後悔の時を矢が認識させて、眼前に迫った。
――この砂塵の中で私の位置を…把握しているのか!?
ベルドルの長剣は鏃を掠めたが撃ち落とすことができない、本能のまま彼は瞬時に顎を引く。
その引いた先で矢は帽子の鍔を射抜く。
はらりと緩やかな音を立てて崩れ落ちて行く緩慢な時が流れるのをベルドルは感じた。
鷹の羽が風に震え、矢は羽根帽子と共に渓谷の下へと落ちて行った。
風を受けたベルドルの髪が一斉に靡く。茶色の髪が空へと広がる。ベルドルは翼竜笛(バーンリュート)を鳴らす。
――空へ舞い上がれ
翼竜(ワイバーン)は加速して空へと舞い上がる。弓矢の届かぬところまで主人を運ぶために。
肩まで伸びた茶色の髪に架かる風音を鼓膜の奥で感じながらベルドルは何故か笑みがこぼれた。
自分は父の決闘の為に脇役を演じる為にここに来たのだが、しかし以外にもここに自分を陥れるには十分な紛うことなき戦士、いや自分達を狙う狩人がいるのだ。
手綱に力が籠る。籠ると心の奥底でふつふつと湧き上がる高揚を加速して舞い上がる翼竜(ワイバーン)の背で加感じないではいられなかった。
そのベルドルの高揚は狩人にも届いたのかもしれない。彼は獲物を掠めた矢の高揚を抑えたまま矢構え、荷台の幌に隠れて獲物を見つめる優れた狩人の目は獲物を捕らえて瞬きすることなく離さない。
(次こそ…)
力を籠めて意識を集中して狙いを定めて弓を引く。
だが、
そのその昂る気持ちが僅かに何かを獲物の背に見つけた時、激しく動揺に変わった。
そう狩人の視線は背に跨る何かを見つけたのだ。まるでそれはそこには存在してはいけないものを見つけて、言葉を失った彫像のように狩人の腕からみるみる力を失わせ、だからこそ、思わず声に漏れたのも、自分で分からなかったのかもしれない。
そう、ロビーは自分を覆った幌を腕で払って声を漏らして震えたのだった。
「何だよ…あれは…なんであんな所に…人間が居るんだよ!!あの暴れ竜の背に!!」
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