第108話

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「…シリィ」

 シリィは自分を呼ぶ声があまりにも魂が抜けたような声音であったので、必要以上に緊張した。

 それは愛すべき人を行かせないための言葉であったとはいえ、ミライ自身の尊厳を強く踏みにじる様な暴言だったからだ。例えそれが意図したものであれ、後で罵詈雑言を謂われてでも、女は戦いに行こうとする男を時期停めたくなる時があるのだと、今もって自分は気付いた。

 だからこそ、ミライが自分を呼んだときは緊張もしたが同時に何かぞくりとした冷たさを背中に感じた。

 それはまるで伝え聞く、永久表土の下で眠る巨人達の目が開いたのを見たような冷たさだった。

「僕にはある…」

 何か虚空を見つめる眼差しのままミライがシリィを見た。その瞳の奥には異常ともいえる情熱が何か奥まった秘密から抜け出て、ミライの網膜を支配しているかのようだった。

「ミ…ミライ…?」

 シリィのたどたどしい言葉に今度は急に正気に戻った眼差しで強く頷く。

「シリィ、僕には一つだけある。誰も知らない力が…」

 心を打つような力強い声にシリィは戸惑いを隠せない。これではこの人は。この

 自身にあふれた言葉で次はきっと言うだろう。

 それを自分は押し返せれるだろうか?


「僕は行くよ、皆の下に」

 

 シリィは返す言葉が無かった。この人は何か知らない力を信じて力強く言った。

 その力は分からない。ただ、この人だけが知っている。

 シリィは叫びたくなった。誰か止めて欲しい

 誰か、

 誰か、

 ミライを止めて


 ――父さん!!


 娘が叫ぶ音鳴き心の声。


「…ミライ殿、行ってはいけない」

 ベルドルンがミライへ言った。

 振り返るミライの目が明らかに自分を非難しているのをベルドルンは知っている。

 だが、ベルドルンは既にこの時、深い奥で蠢く何かを感じていた。それは誰もの運命に今絶望が翼を広げて覆おうとしたときに響いた音。

 まるで翼に呼応するように広げたもう一つの巨大な翼の羽音。

 ベルドルンだけがその波動を感じていたと言っていい。

 何故なら、自分はその羽音を知っているからだ。

 それは子竜の危機を思う親の気持ち。人間だろうとも竜人族(ドラコニアン)でもあろうとも例え、暴れ竜だとしても。

 それは同じなのだ。

「…来る」

 ベルドルンが顔を上げた。

 視線の先にミライが見える。それはまるでこれから先の未来を託す老人の眼差し。

「来るのだ。もう一つの凶星が」

 ベルドルンの言葉にローが反応する。

「何っ…なんだと、ベルドルン!!何を言っている!?」

 ローは躰を起こすとベルドルンの肩を強く抱く。

「どういうことだ!」

 ローはベルドルンの謎めいた言葉に危険な真実を嗅ぎ取った。それは正しく、戦士としての本能だったかもしれない。

 そしてその瞬間、正しく真実となった。

 鷲の嘴を巨大な影が覆ったのだ。

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