第103話

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「――ゆかねばならぬ」

 その声は血が混じり、風に乗る。ミライは振り返った。そこに異形の戦士が立ちながら翼を広げ始めている。

「浅はかな知恵でこの地に生きる者たちへ災厄を招いてしまった。翼竜笛(バーンリュート)で制御できない翼竜(ワイバーン)ほど危険な存在はいない…、それは私が良く知っている」

 言ってから口から血の塊を吐いた。ミライがベルドルンを抱きかかえる。

「ベルドルン殿!!」

 触れる手の下で鼓動が激しく脈打つのが分かる。

 これは尋常ではない。

 ベルドルンの肉体が限界に来ているのだとミライは分かった。

 つまり人間の心臓と竜の心臓の共鳴がもはやこの老貴人、いや戦士ベルドルンに死を連れて来させているのだ。

「行ってはいけない!!あなたは此処に留まるのです」

「では誰があの巨竜と戦うというのだ。あの暴れ竜と」

 ミライは瞬時に答えた。

「我々です」

「我々?」

 ベルドルンが目を動かしてミライを見た。

「そうです。アイマールの戦士達が戦うのです。彼等の責務として、そして誇りをかけて」

 ベルドルンが首を横に振る。

「何ゆえに、所以無き暴力に対して彼らが命を賭して戦わねばならぬ?あれは私が招いたのだ。招いた以上、私が行かねばならぬ…」

 間を置いた声に痛みが宿る。

「そして私の命と引き換えに…葬らねばならぬ」

 言葉にシリィが震える。だが、その震えに共鳴してもう一つ声がした。

「それなら儂も行かねばならぬ」

 ミライが振り返る。声の先にシリィに抱きかかえられたローが居た。その声は震えてはいない。毅然として鉄のような強さがあった。

「おじい様…」

 シリィの声の震えが鉄に反響して、ミライの心を震わした。

「ロー…」

 ミライの言葉にベルドルンが首を振る。

「…貴殿には関係なき事、これは私達親子…いや、私自身が招いた事なのだ。全ては私が貴殿との決着に望んで仕組んだ事故…」

「ならば儂もその責任を負わねばならぬ。何故ならば儂の運命もまた…そなたと違わず表裏一体なのだから」

 言うやローは腕に手を動かす。それはやがて孫娘の頬に触れた。その指先にローは何を感じているのだろうか。薄く瞼を閉じて話し出す。

「シリィ、儂は行く、ベルドルンと共にあそこに」

「おじい様…どうして?どうしてその傷付いた躰で行かねばならないんです!!」

 ローは瞼を閉じてやがて見開く。

「儂はあの荷駄を護る為に此処に来た。これは王命でもあり宿命なのだ。だが、弾は限り少なくこの距離からではあの巨竜を撃てぬ。そう、少なくとも…あ奴を仕留める為には近づき…」

 言ってから投げ出されて転がる大きな銃を見た。それはミライもシリィも知りうる巨大な砲に似た銃。

「…あれで撃たねばならぬ。そう、そうとも…」

 ローはそこで大きく息を吸った。吸うとベルドルンを見た。

「あの時の儂らがそうしたように。そうだな?違うか?ベルドルン?いや…」

 間を置いてローが言った。感情の高ぶりが喉を湿らせつつ声を出した。

「…婿殿よ」


 ――あの時の儂らがそうしたように?


 ミライはその意味を問おうと身を乗り出した時、僅かにその視野に映るものがあった。それを凝視する。

 それは騎士達の壁と巨竜との間に蹲るように屈んだ小さな孤影。

(あれは?)

 ミライは再び力を籠めて凝視する。

 それは眼下の死地に於いて、首を上げて翼を広げようする空鷹(ホーク)の姿に見えた。

(いや、違う!!)

 ミライは心の中で叫ぶ。

 峡谷を噴き上げる風に長い髪を揺らして長剣を下げて対峙する空鷹(ホーク)の孤影は人なのだ。


 ――僕はあの孤影を知っている!!


 ミライは手に力が籠る。

 あれは絶望の世界に見えた希望。ミライは整然と並ぶ騎士達の壁の前に立つ希望を見て、力強く叫んだ。

「ベルドル殿ぉお!!」

 思わぬ叫びに誰もが思った。

 そこに希望がある以上、絶望はまだ遠いと。

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