竜と老人 (Dragon and old soldier)

日南田 ウヲ

第1話

 若者がひとり、大きな木杖をつきながら、時折自分が歩く荒れ道に片膝をつくと何かを拾ってズボンのポケットに入れた。

 背には大きな渋染めの麻袋を担ぎ、それを二つの縄で胸の上で絞っている。顔は足まで届きそうなフードで覆われ、それは濃くなる森の影に同化し、目を凝らさなければ若者が動く姿を草木が揺れ動いているのだと間違えるだろう。それ程、彼の姿は森と同化していた。

 ここは人間の王国アイマール辺境の地、ルーン峡谷の森。王国に住むものならば誰もが滅多にこの道を通らない、いや誰もがここを避けるだろう。

 それはこの峡谷が過去に王国を恐怖に陥れた暴れ竜ベルドルンの棲みかの近くだからだ。だがこの道を通らねばならぬ時もある。それはこの峡谷の先にある北方の海上都市シルファに行かねばならぬ時だ。

 アイマールは山岳都市である。人々は狭い山々を開拓し、麦を植えて牛を育て、水を引いて暮らしを豊かにしてゆき、やがて石を重ねて城壁を造り、小さな王国を起こした。なだらかな丘陵に立つ城壁の中に人は暮らし、田畑で城を囲んだ。秋になれば黄金色に染まる麦の向こうに王国が輝くのが人々の誇りだった。

 しかし、誇りあるこの国にも無い物があった。

 海が無い。

 それはこの土地では塩が取れないことを意味していた。僅かな岩塩では人々に行き渡らない。

 その為、夏の夏至には必ず隣国のシルファへ向かい、小麦と交換して彼の地で作られる大量の塩を運んで来なければならなかった。

 いつしかそれらはアイマールの若者たちの仕事になり、夏のシルファへの旅はアイマールの若者たちにとって、隣国の繁栄に触れて山岳王国の苦しい労働から解放された生涯忘れられぬ旅になった。

 それが何時の頃か、ルーン峡谷の北にある山に一匹の竜が棲むようになった。竜は自分の棲み処を歩く沢山の荷駄を見ると襲いかかり、多くの犠牲者や死者を出した。その事を憂いたアイマール王はこの暴れる竜を退治すべき軍を率いて、討伐に向かった。

 竜は王の率いる軍団と七日に渡り戦い、激しい激闘の末、ついに砲撃手の火薬弾を足に受けると、それが致命傷になり山の奥へと落ちるように飛んで行くと、やがて姿を忽然と消した。

 以後、アイマール王は傷を癒した竜が再びこの峡谷の道を行く領民を襲わせないように、峡谷の中腹に砦を築くと屈強な兵士を駐屯させ監視させた。

 それが今、若者が歩いている荒れ道の先に見える。

 若者は僅かにフードを上げるとやがてしずしずと歩き出した。砦の見張りにも若者姿が見えたのだろう、太い声が響いた。

「おい、旅の者よ。どこへ行く?」

 彼は返事に答えることなく、また腰を落とすと荒れ道に落ちている何かを拾った。

 砦の方で慌ただしく人影が動いた。

 それがこの見知らぬ旅人の為だというのが分かるのにそれ程時間がかからなかった。砦から数人の兵士が慌ただしく荒れ道に降りてきて、若者の前に立って槍を構えたからだ。

 顎に見事な髭を生やした兵士が若者に言う。

「おい、旅の者。もう一度聞く、どこへ行く?この道を行きシルファヘ行くためには我が王国の手形が無ければシルファの城門は開かぬぞ!!」

 言って、槍で音を立てて地面を突いた。

 その通りだった。

 海上都市シルファは南から来る者へ城門を開くには必ず友国であるアイマールの発行する手形を求めた。理由はシルファを目指して南から来る無頼門徒を避ける為である。

 豊かなシルファはまたアイマールから見れば強大な軍事国家だった。戦えば象と蟻の差だ。アイマールは滅びるだろう。

 その巨大な軍事力を有すシルファが小さな山岳王国のアイマールを滅ぼさないでいるのは、南方から豊かな国を目指してくるそうした無頼門徒をアイマールが間接的に防いでいるという関係があるからだ。つまりシルファはアイマールをそうした無頼門徒から防ぐ一つの関所として、また防波堤にしてた。

 アイマールもシルファの思惑は良くわかっている。

 だからその見えぬ期待に応えることが小国の一つの生き残り策であるというのは、けなげに山野を開いた人々には良く知悉しており、またそれこそがシルファが塩と交換をしてくれる本当の理由だと分かっていた。


 ――小さき山岳国の小麦など取りに足らないものである。


 シルファの買い付け役人の顔にはそれがありありと浮かんでいるが、山を開拓して風に打たれた固い皮膚で、アイマールの人々は逆らうことなくいつも笑った。

 その固い皮膚をした髭の男が、槍を地面に再び叩いた。

「どうだ、若いの?分かるか?」

 若者は反応をしない。どこ風吹くような佇まいだった。

 それに少し苛立ちを見せた男がつかつかと歩き出し、若者の前に立った。

「聞いてるんだ?どうなんだ?あんまり黙っているとこちらはやりたくはねぇが、手酷い目に遭わすことになるぞ!!」

 そこで若者は顔を上げ、ゆっくりとフードを取った。すると被っていたフードの奥から肩まで伸びた黒い髪が見え、男を見て笑った。それで男が「あっ!!」と叫んだ。

「何だ、オマェ。ミライじゃねぇか?ここに何しに来たんだ?」

 男が後ろを振り向いて他の仲間にも手を振った。

「おーい、みんなぁ、ここにいるのはトネリ爺さんとこのミライだ」

 その声に反応して他の男たちがやって来る。

かしらぁ、ミライですか?」

「おう、具師グシのな」

 髭男が答える。やって来た中で一番若い男が髭男の背から覗き込むように若者を見た。

「あれ、本当だ?ミライじゃねぇか?何してんだ、オマェこんなとこで?」

 若者が背負ったものへ目を遣って言う。

「仕事さ。もう爺さんじゃ、この荒れ道を歩きながらローの所にはいけねぇから」

 髭男が言った。

「なんだ、ロー爺さんのとこに行くのか?」

「ああ」

 若者が答える。

「確か、その砦の先の下り坂の分かれ道の先に家があるだろう。ローも歳で足の筋肉が落ちてるはずだ。だから装具が合わないと思ってね、今使ってるローの補装具の点検にこれから行くのさ」

「本当か、おめぇ?実はあそこの孫娘のシリィに気があっていくんじゃねぇのか?」

 言うや若い男の頭を若者が木杖で激しく叩く。

「ロビー、馬鹿言え!!そんなやましい気持ちなど僕には無いぞ」

 痛ててて、言いながら涙目でミライを見る。

「少しからかっただけなのに、ひどいじゃないか」

「こんな痛みぐらいで涙を出すなんて、それで兵士として砦の警備が務まるというのか」

 笑うと、ミライはゆっくりと歩き出した。

「ダン」

 髭男が反応する。

「夕暮れまでにはローの所に行きたいから、行くぞ」

「分かった。気をつけろよ。まぁ、もうあの暴れ竜は出てこないと思うがな」

 それに若者は頷くと、背を向けてゆっくりと手を上げて答えた。

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