第104話

(104)



 ――勝てるか?


 否、

 ベルドルは首を振った。それは余計な雑念だった。

(勝てる、勝てないとかの選択を問うべきではない)

 長剣を下げて巨竜に向き直る。

 背には騎士達の槍の壁。

 騎士達は突如自分達の前に立ち塞がった孤影に唯、息を吐いている。

 何事も誰も言わぬのは眼前に迫る敵――つまり巨竜ベルドルンが如何に自分達の手に余る敵であり、自分達の命の数があっても足りぬほどのものだと知っていて、その為に僅かでも引き換えにできる命がこの戦場に現れたのを咎めるつもりはないからだ。それはそれだけ領民たちの誰かが生き延びる可能性が増えたという事なのだ。

 だが、誰かが言った。

「ここは戦場。後悔は無いか?」

 その声は髭面の騎士の声。

 ベルドルは頷く。そして一言。

「…済まぬ。このようなことを君らに招いたことを」

 詫びた。

 騎士達は何も言わぬ。戦場では現実こそが全て。その現実を切り開くだけなのだ、kいかなる条件、理由が在ろうとも。

 その問いかけと答えをもっと後ろで聞いてる者がいる。

 それはロビー。

 矢が無き弓を手に持って緊張したお面持ちでいる。自分の眼前に舞い降りた空鷹(ホーク)は音も立てず騎士達の壁を飛び越え、巨竜に向かって長剣を下げて立ち塞がっている。

 ロビーの眼前で瞬時に交差すると予感した死と生を織りなす筈だった剣戟の音は、今や巨竜に向かって長剣の切っ先に伸びつつある。

 ロビーは荷台から見えるこの光景に呆然としつつもこの状況で自分が出来る事を考えた。後方では逃げ始める若者たちの声が聞こえる。


 ――早く!!もっと遠くへ早く逃げるんだ!!


 自分は考える。この峡谷の地理を。かつてこの地をゆけばシルファへと掛かる石橋があると聞いている。その石橋は遥か昔預言者イシュトが記した石碑が側に立つ。


 ――これより南は古代マール王国にて。


 今若者達が逃げてゆく先はそこしかない。そこには小さいながらも石造りの楼があった。そこならば巨竜の牙を避けることが出来るかもしれない。

 そう、もはや逃げ隠れする場所はそこしかない。

 だが、と躊躇する思いが浮かぶ。

 その石橋を渡れば、もうそこはシルファの勢力圏になる。つまりそこにこの争いを持ち込めば、そこではアイマールとシルファの協約に反する。


 ロビーは脳裏に描く。シルファとの協約を。


 ――一つ、貴国アイマールは南よりシルファに入国する何人の観察をすべし。

 また善良なものにはシルファへの入国手形を発行し、善良ならざる者は排除すべし。

 一つ、シルファが軍事上の危難が迫れば、全力を持って援護すべし。

 一つ、『塩』の取引において貴国アイマールの産物を献上すべし。


 歯噛みする思いで手が震えた。しかしながら巨竜に対して非力な者達が逃げる場所は其処にしかない。

 

 ――ベルドルン。

 この小邦に振り落ちた災厄の星よ!!

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