第20話
(その20)
月が輝いている。
シリィは窓からぼんやりと夜を眺めていた。
外は夜風が吹いているのか、遠くで森の木々が揺れる音が耳に聞こえる。
窓から見える星がひとつ、静かに流れて地平に消えた。
(ミライ・・)
シリィが星の消えた先へ、待ち人の名を心で告げる。
心の不安は言葉では止められぬ。それをミライが出て行ってからシリィは良くわかった。人はやはりその人の体温が近くに分かる距離でこそ初めて不安というものから逃れられる。
ひょっとすればアイマールに住む他の女より自分は心が弱いのかもしれないが、それでも今はそういう自分を認めたい。
夜風が不意に止ったように思えた。森の木々のさざめく音が消え、静寂が訪れた。
静寂の中に踏まれる草の音。
はっとしてシリィは立ち上がる。
その草を踏む音は確実に扉へと向かっている。扉に向かって走り出した彼女は後ろ髪を束ねることなく、無造作になすが儘にして扉に手を掛け、勢いよく開けた。
そこにミライがいた。
彼女の栗色の瞳は一瞬大きく見引かれたが、やがて両手で覆うとそのままミライへ身体を寄せた。
「ミライ!!・・・帰って来たのね」
シリィの陽に焼けた髪の匂いが抱き寄せたミライの腕の中で漂う。
そっとミライは手で優しくシリィの頭を撫でた。
「帰って来たよ、シリィ。ちゃんと仕事を終えてね」
シリィはミライの言葉に小さく頷くと腕の中で抱かれたままにしている。その時間がどれくらい必要なのか、それは残された者の納得いくまでにしておかなければならない、ミライはその時が来るまでそっとそのままにした。
――残された者の心の波際に打ち寄せた波が引くまで。
ミライはそっとシリィの流れている後ろ髪を撫でた。
「ミライ・・」
シリィが腕の中で顔を上げる。
「お帰りなさい」
その言葉にミライは後ろ髪を撫でていた手をシリィの背に置いて、後ろを振り返った。
振り返る視線の先に月夜に照らされて揺れている若者が見えた。
ミライは軽く頷いた。
若者はミライが頷くのを見ると、口元に小さな微笑を浮かべて、シリィに気づかれぬよう音を立てず夜の闇に消えた。
「さぁ、家の中へ入ろう」
ミライがシリィの背を押して家の中に入った。
――ミライは帰って来た、約束通り私の元へ
夜風が頬を撫でた。安堵した心の中でそう呟く。
――ご婦人殿、お約束通りミライ殿をあなたの元へお返しいたします。
シリィは急に顔を上げ、夜の世界へ飛び出した。
そこには夜の暗闇が静かに佇んでいる。
シリィは夜風に吹かれながら、その見えぬ暗闇の中に若者の言葉を聞いた気がした。
シリィは小さく頷く。
誰もいない暗闇が優しさに溢れている。
シリィは心の中であの若者の名を言った。
――ベルドル殿、確かにミライを返していただきましたよ、私の元に
その時、夜風が吹いた。
――母上の名に懸けて、約束を果たしたまで、ではまたいずれの日か。
夜の暗闇から急速に優しさが消えて行く。
若者は去ったのだ。
シリィはそう思った。
それで暗闇はまた元の冷たい静寂へとなって月を纏って二人の頭上に輝いた。
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