第21話
(その21)
朝には陽が昇る。
それを待って女は腰に種を下げて、男は鍬を持ち畑に出る。
遠くに見える陽が頭上に輝けばそれが昼餉の時間を告げる。
風が吹けば時折遠くで泣く鳥の声が聞こえ、土を掘りおこす労苦にいそしむ人々の心を慰めると、やがて遠くで鐘が鳴った。
女と男は顔を上げて響く晩鐘に心を寄せて、今日の労苦の終わりと明日の豊穣を願い感謝の祈りをささげる。
あとは夜の帳が終わらぬうちに家路へと急ぐ。
男と女、二人しかこの世界にはいない。
男が女の膝を優しく触り、背に大づくりの鍬を持つ。
女の背には籠が背負われ、その眼差しが男に何かを求めている。
男は女の手を取るかもしれない。互いのか細くも強くこれから生きようとする定めを知ろうとして。
女は土で汚れた男の広い手を握る。握り締めたひと時の幸せを離したくないと願うのかも知れない。
それはそれぞれが持つ未来への定めというものを知っているのだろうか。しっかりと握られたその手に力が入る。
男の手の木杖が二人の影を踏んでいく。大地に二人のこれからの定めを楔のように一歩一歩打ち込みながら。
戻れば居る筈の老人が居ない。
おや、とミライが首を傾げる。部屋の間口の側に複数の足跡が見える。良く見れば足裏の踵部分に円を描くような跡がついている。ミライはそこに屈みこんで、指でそってなぞる。
「ミライ・・?」
シリィがミライに問いかける。足跡に触れるミライの表情に強張りがあり、それが不安を過らせる。
(これは・・馬などに乗る兵士の軍靴の踵だ)
首を回す。
見れば辺りにはいくつかの跡があり、その中にいびつな足があった。
(あれは、僕が作ったローの装具の跡だ・・)
ミライは立ち上がる。
(と、いうことは僕らが耕しに出たころにここに訪問者が来た。それもこれは軍靴・・おそらく砦の兵士の物)
ミライは良く分かっている。この軍靴の踵は自分と数人の鍛冶職人たちで作ったものだからだ。
足跡を追うように杖を突いて歩くとそこに馬の足跡があった。
それにシリィも気づいた。
「馬だわ」
ミライが頷く。
「王国の騎士だな」
ミライがシリィを見る。
シリィはミライが言った言葉の意味を感じた。
――王国の騎士が退役した老兵の元に来た。それは余程の火急の事が起きたということだ。
「ミライ・・祖父は・・?」
その言葉に気づいてミライはシリィを残して、急ぎ部屋の奥へと走り暖炉の下に手を潜らせた。
――果たしてそこに例の物は
(在った)
ミライはそれを探ると直ぐにシリィの側に戻った。
その時、例の肖像画が見えた。
夕陽に染まるその肖像画が物言わずミライを見つめている。
思わず立ち止まった。
「ミライ!!」
立ちどまると直ぐにシリィが部屋の外で自分を呼ぶ。
何かを見つけたようかの声だった。
急ぎ部屋を飛び出す。
シリィは広く伸びた低い石垣の所に居た。
ミライが杖を突きながら横に立つ。
「あれを見て」
ミライは眼を細める。左目が手で隠すようにして右目だけで遠く見つめてその距離を図る。
庭から畑を抜ける細道への先に森があった。ミライはその森の小道から出て来る影を見つけた。
それはやがて段々と大きくなってきた。
それは老人だった。
老人が馬の手綱を引いて、誰か若い兵士一人を横に歩かせている。
「横に誰かいる・・、あれは・・」
若者の顔がはっきりとわかるとミライは思わずニヤリとした。
それを見てシリィが問いかける。
「何?ミライ。急に・・」
「ああ、横に居るのがロビーだったんでね。ほら砦の兵士のロビーさ」
「ロビー・・?」
それに驚くように目を細めるシリィにもその影がはっきりと自分にとっての既知の人物だと分かると表情を緩めた。
二人の姿はもうはっきりと互いの顔が分かるところまで来ていた。
「やぁミライ!!」
ロビーが手を伸ばして手を振る。馬上の老人が出迎える二人を見て笑う。
ミライが老人と若者の所に歩き出す。
馬が出迎えに歩き出した二人の前でピタリと止まる。
すると突然だしぬけにロビーがミライの背を強く叩いた。
「おい、ミライ。やっぱりお前・・シリィちゃんとうまくやってんじゃねぇか!!」
激しい音と共によろけるように前へとのめり出す。
「道中、爺さんから聞いたぜ!!」
言ってからロビーがミライの首に手を遣りくるりと反転させると、二人から聞こえないように耳元で小さく囁く。
「何でも祝言上げるんだってな」
羽交い絞めされたミライの首元が熱くなる。ロビーの腕を振りほどくようにもがくがどこか力が入らない自分が言う。
(爺さんのおしゃべりめ・・勝手なことを)
ふん、と力を入れて腕を外そうとするが、より強くロビーが締め上げる。
「これぐらいの罰をうけなきゃな。なんせ、あんな器量の良い娘を貰うんだからな」
その声ははっきりと老人と娘には聞こえた。
驚く娘に恥じらいがある。
「ちっ!!たまんねぇなぁ!!」
それを見てロビーが舌打ちして笑いながら腕をほどき、勢いよくミライの背を叩いて押す。それでミライがよろめくようになり、シリィに抱きかかえられた。
ヒュー、
それを見てロビーが口笛を吹いて、老人を見上げる。
馬上で老人が豪快に笑った。
「おじい様!!」
シリィが赤らめ顔で言う。
「こいつは結構だ。シリィちゃん、おめでとうと言っとくよ」
ロビーがシリィを見て手を大きく広げて笑う。
ミライがシリィの腕の中でふらつくように顔を上げてロビーを睨む。
「おい、ロビー・・!!それは・・」
そこでミライは言葉を切った。なぜならそこでシリィがこちらを一瞬鋭く注視したからだ。
ミライは瞬時に言葉を呑んだ。不用意なことは言うのを避けたくなった。
正直に言えば(何ごともない老人の戯言だ)と言いそうになったが、それは正しい回答を欲しがる者を迷わせて未来をひょっとすれば変えるかもしれない。
「何だ?ミライ?」
にやりとロビーが笑う。
少しだけむっとした表情のままミライは黙った。
今は沈黙こそが正しい答えだろう。
それはどこか眼差しを向ける娘にも分かった。そっと誰にも分からぬ風のようにミライの手に触れて、あとは何事も無く沈黙の人になった。
「あーあ、こうして黙ってられたら俺としてはおもしろくねぇな」
言って老人に目を向けた。老人が馬上から降りて手綱を若者に渡す。若者はそれで首を縦に振ると勢いよく馬に跨った。
それから馬首を巡らす。
「ミライ、あんまりお前をからかっちまうと夕暮れには砦に戻れねぇ。頭に怒られちまうからここで失礼するよ」
「おい、ロビー。聞きたいことがある」
「何だ」
馬上でロビーが首を曲げる。
「何があった?王国で?でなけりゃローまで呼びだされないだろう?庭についてた馬の足跡は王国の騎士の足跡だ。この運搬用の馬じゃない」
それに無言でロビーがミライを見つめる。その視線が次はゆっくりとローに移る。ローが顎を引いた。
言え、ということだろう。
小さく咳払いをしてロビーが真顔になる。
「出たのさ」
「何が?」
ミライが眉をひそめる。
再び、ロビーがちらりと老人を見た。老人は黙ったまま何も言わない。
ロビーが息を大きく吐いた。
「南の砦カリュで・・出たのさ」
ミライの視線が答えを急く。
「出たのさ、ミライ。・・・・あの暴れ竜ベルドルンが」
最後は強くはっきりとした口調だった。
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