第22話
(その22)
「報酬がシルファ王国通貨10シルズとは驚いた。ミライ、お前が赴いた館の主人というのは余程裕福なのだろうな。なにせそれ程の稼ぎを出そうと思っても恐らくシルファの貿易商人でも簡単には出せまいよ」
老人は言ってから皿から口に肉を頬張る。噛んだ唇から溢れ出て来る肉汁を手の甲で拭くと大きく歯を見せて笑った。
「先程のロビーの冗談話ではないが祝儀の引き出物としては恐ろしすぎるほど十分なものよ。いや、それだけではない」
老人は向かいに座るミライとシリィの背の奥に輝くランプを見る。
「そいつはシルファでもやっと使われ始めたランプだろう?それを油と一緒にこの部屋の四方壁に掛けるぐらい頂けるなんざぁ、中々の王国のようだ。文明の度合いも、その技術もアイマールとは比べられぬものだろうな」
最後に老人はミライへ同意を促すように白髪交じりの髭を撫でながら目を向ける。
ミライは無言で頷く。
館を出るとき報酬をシルファ王国金貨で10シルズ貰った。
アイマールでは最小単位通貨をマルスといい、その1000マルスで1マールとなる。
互いの通貨交換比率はアイマール王国通貨1マールに対してシルファ王国通貨が20マール、その1マールが1000マールで1シルズになる。
アイマールでの一日当たりは1マールが20マルスほどだ。
ミライは報酬を袋で受け取った時、中を確認はしなかった。
報酬がいかほどであろうともそれをなじる気持ちなど毛頭無い。
だから後で袋を開けて非常に驚いた。
ミライとしては正直なところ報酬としてはこの王国の文明の利器を欲した。できればランプを頂きたいと申し出た。
もし頂いた報酬の額を知っていればこうした願いはしなかったのだが。
だが館の老貴人は困った顔など一つも見せず、この報酬と共に幾つかのランプと油をミライに贈った。
「いや、これほどの豊かさとは無縁の生活で終えると思っていたが、いやはや・・やはり持つべきものは何とやらということか」
再び肉片を口に運んで先程と同じように手の甲で口を拭った。
「明かりとはいいものだな」
ランプの揺れる炎を老人が見つめる。そのランプの明かりにシリィが照らし出される。
しかし彼女は難しい顔をしていた。
それをミライが横目に見ると、上機嫌に笑う老人から十分の間を取って言った。
「いや・・ロー。その報酬の話はもういいんだ。それよりも先程の事だ?」
「先程の事?」
実はミライがそれを切り出そうとしたところ、うまい具合に老人はミライが核心を逸らすように、話題をミライの報酬へと切り替えた。
――避けようとしているな。
それぐらいはミライにも分かる。シリィも聞き出そうとして先程から何度か話を逸らされている。それでついに困って瞳を閉ざすようにしてミライへ合図を送ってきたのだ。
(よし、僕が聞く)
それで顎を軽く引いて聞き出そうとしたところ、この話の流れだ。
あの老貴人と言い、目の前の老人と言いやはり何事か心中に秘めたるものを持つ者は一筋ではいかない。
だが、いつまでもその先方を躱せるものではない。
「何のことだ?」
ミライははっきりと言った。
「暴れ竜の事だ」
――ほぅ?
言ってから瓶を寄せた。
それには果実を蒸留させてできた酒が入っている。それを片方の手で寄せたカップに注ぐと一気に飲み干した。
飲み干してミライを見る。
「ミライ、飲むか?」
眉間に皺を寄せて横に首を振る。
「いや、飲まない。ロー、あんた今日王都で何をしてきたんだ。まさか、行くつもりではないだろうな。南の砦カリュに」
語気を強めたミライの言葉に不安そうにシリィが祖父を見る。
老人は眼をパチパチとさせて瞼をこすりながら大きな欠伸をした。
「ロー!!」
ミライが老人の肩に手を置く。
ミライの手を老人が気持ちを込めて強く握る。しかしそれに怒気は無い。
そっと肩から離した。
「ミライ・・儂は老兵だ。何ができようか、行ったところで」
「おじい様」
シリィが年老いた者の心を優しく撫でるように祖父の手に触れて、それをゆっくりと頬に寄せた。
「分かっているよ、シリィ。儂は南には行かぬ。行かなくてよいのだ、それは他の者に任せておけば良い」
言ってから優しく孫娘の栗色の髪を撫でた。
ミライが見つめている。
「ミライ。それが例え儂が因縁のあるあの暴れ竜であっても今回は行くまいよ。何故なら儂は今あるこの幸せを十分楽しみつくさねばならないのに、それをここにおいて、何ゆえに意味のない場所へ行かねばならぬのだ」
老人がミライを見る。
「お前達次の世代の若い者達がこれから先を生き続けれるように老人は何かを残して生きねばならぬ。それだけだ」
その眼差しは偽りなく、真実に溢れていた。
しかし、
――過去よ、儂と彼奴(きゃつ)との過去を撃ち抜かねば決着はつかぬのよ
不意に老人の心の底からの優しさとは別の冷たい鉄のような情熱の礫がミライの心の中に飛んできた。
真実の優しさに中に消えることのない、過去への蟠りがミライには見えたのだ。
「ロー・・」
思わずミライは言葉が出た。老人が孫娘の髪を撫でる手を離す。それからミライを見て言った。
「ミライ、敵は今回策を弄している。策を弄してまで時間が惜しいようだ。儂にはそれが分かるから愉快だ。それ程、奴にとって・・」
「奴にとって?」
(敵ではなく奴と言った)
真意を探ろうとミライの眼差しが光る。
「ミライよ」
ふふ、と老人が鋭い視線に対して笑う。
「時間だ、時間を大事にしたいということだろうな、奴は。まぁ互いに惜しむような人生でもないだろうになぁ」
言ってからさも愉快そうに大きく声をあげて笑い始めた。
それがあまりにも本当に心の底から愉快気だったので、思わずミライとシリィは顔を見あわせて不思議そうに老人を見入って黙ってしまった。
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