第98話

(その98)

 

 ロビーは唇を噛んでいる。噛みして血が出るぐらいならまだいい。


 ――あの長剣で首を切られるよりかはな。


 阿鼻叫喚の悲鳴が飛び交った死地に沈黙が訪れている。

 だがもし何かが動き出そうならば、なだれ落ちていく岩が音を立てる様に再び何かが起きそうな予感を秘めながら。

 その予感とは。

 ロビーも勿論分かっている。

 自分の背の向こうの岩肌で動かない巨竜のことは。

 暴れ竜、ベルドルン。

 だが、自分はそれと違う物と対峙している。

 もしかすればあの暴れ竜よりも謎を秘めた若者、いやこの眼光鋭き空鷹(ホーク)と。

 だが、人なのか。

 ロビーは考えた。

 もしかしたらシルファの空挺騎士団なのかもしれない。噂では聞いたことがある。空を行き交う飛行艇というものがあり、それに付き従う騎士団があるという事は。

 だが、

 こいつは何に乗っていた?

 背に熱を感じる。

 そう、こいつはあいつだ。暴れ竜に乗っていたじゃないか。となればシルファの空挺騎士団何て輩じゃない。

 こいつは、とんでも無い化け物に血が居ない。

 自分の背に回したまやかしの手。そこにある筈もない矢を探す愚かな手。

 だが自分にできることは精一杯の演技をすることだ。この目の前に対峙する化け物相手に。

「…見事な腕だった」

(…何っ?)

 ロビーは響く声に僅かに目を動かす。声と共に若者が構える長剣が僅かに下がった。

「私とあいつを撃ち落としたこと、見事だと言いたい」

(こいつ、言葉が話せるのか?それもマール語で…)

 その声を誰もが聴いた。

 騎士も荷駄の下で蹲る人々も。

 ロビーは唾を飲みこんだ。飲み込むと腹に力を加える。力を込めなければ声が出ない。

 よし、俺は聞く。

「…あんた。何者だ?」

 率直で偽りなき問いかけ。

 そして

「…うしろにいるあいつは生きているのか?」

 それは誰もが知りたい答えだ。

 若者は応えるだろうか。

 ロビーの手は背に隠れたままだ。

「…君に敬意を表して問いに答える。私は名をベルドルという」

 ベルドル?

 ロビーがその名を反芻する。

「だが二つ目の問いには答えられない…」

「何!?」

 ロビーが吐き出すように言った。

「どういうことだ?そいつは?あれはあんたが何かしてんだろうが?俺は見たんだぜ!!あんたが背に跨っているのを。俺の目は良いんだ!!空飛ぶ小鳥すらこの弓で撃ち落とすことができるんだよ」

「それは分かる。今のこの状況を察すれば」

「じゃぁ!!何故答えられない」

 ロビーが怒気を放つ。

「生死を彷徨っている時に、答えを出せないと言う意味だ、わかるかね」

「…彷徨っているだと…」

 二人のやりとりに影が足を踏み込んだ。いつの間にか数多くの騎士たちが二人の周りを囲む様にやって来ていた。その誰もが警戒を解いていない。だが一人の騎士が兜を上げる。それは先程ロビーと話していた髭面の騎士だった。その騎士は他の騎士達よりも一歩進み出る。出ると手にした槍を構えて若者に問いかけた。

「若者よ。どこの国のものだ。なぜあの暴れ竜といる?」

 若者は答えない。

 荷台の上で影の様に鎮座している。

「…もう一度聞く。どこの国のものだ。もし答えられなければ、お前を捉えなければならない」

(…出来るものか)

 ロビーは舌打ちした。

 勿論、騎士たちの腕が劣ると言うことではない。自分は分かっている。このベルドルと言った若者はそれ以上の技量を持つだろう。分からぬが、恐ろしい剣士に違いない。

「答えぬか!!」

 髭が震えて、槍が動く。

「おい!やめろ!!」

 ロビーが言った時、若者が言った。

「…竜王国(ドラコニア)」

 ベルドルは短く答えた。

「…何?」

 髭面が目を丸くする。

「…竜王国(ドラコニア)だと?」

 あの夜、ミライを訪ねた時も答えなかった国の名をベルドルは答えた。それは何故か。

 ベルドルに去来した思い。

 自分を囲む彼等は健気にも竜という強き敵に立ち向かおうとした。彼等は自分の身の危険を顧みることなく民を護ろうとする気概を見せ、私利私欲も無き、ただ誇り高き戦士として立ちはだかった。戦場に揺れ動く戦おうとする者の気高き意思にベルドルは感動を受けた。

 戦士として願う事の無き深い感動がベルドルを包んだのだ。ここは人間の王国アイマール辺境の地、そんなマール人達の戦士に対する尊敬がベルドルの心を動かし、素直にこの素朴な戦士達に前で言葉が出た。

 だが

「二度とは言わぬ…」

 そう言うと荷台から飛んで降りた。降りると髭面の騎士の前に立ち、軽く長剣を払う。

 払うと槍の穂先が飛んだ。

 それから背向うのロビーに言った。

「既に君の背に矢はあるまい。それよりもその手をそのままにしておくといざという時に動けないぞ」

 ロビーは若者の指摘に一瞬顔が青くなった。

 だが、正しい指摘にどうすることもできない。

 ロビーは腕をゆっくりと背から戻した。戻しながら若者の言葉を反芻する。


 ――いざという時に動けないぞ

 

 それはどういうことか?

 

「…やはり…な」

 若者の言葉が漏れて聞こえた。

 それから若者は不思議な事を言った。

「翼竜笛(バーンリュート)はわが手にない…」

 それから長剣を払う様に身構えた。その様子にロビーは背を振り返った。そこに岩肌から垂れた首を起こす竜の姿が見えた。

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