第51話
(その51)
「リゼィの死、あれは
トネリは眉間に手を置いて、瞼を閉じた。
表情は険しい。
その険しい表情をしている友人をローが見つめている。
しばしの沈黙が有った。
「その肉体は解け落ち、やがて水になる。それだけではない。その水は土に交じると広がり、やがて花になる。それは枯れることを知らぬ花…」
言葉を選ぶように話し出す友人が、深い世界へ潜りこんでいるのがローには分かる。深い瞑想のような時間、この時間から引き出されるその知識の断片こそが、さすが賢者トネリだと誰もが言うのだ。
深い山野や辺境を仕事と共にさ迷い歩く具師。彼等には深く長年培われた見識や知識がある。
それらが無ければ見知らぬ土地の仕事で思わぬ難事に巻き込まれることもあるのだ。だからその土地独特の風土や伝承等は、仕事の技術とは別に常に彼等の中で継承されている。
それは古文書、伝承、伝説、その時の祭事、あらゆるところにまで及ぶ。
トネリは今それらのあらゆるものから一つの答えに近いものを探し出そうと思索している。
それは友人の妻の怪死について。
水になって死ぬ怪死。
暖炉の火が揺れて影が大きく揺れた。何かに触れた火が大きく燃えたのだ。
「はるか北方に僅かにそれに近い言い伝えがある…」
友人が言葉を紡ぎ出した。
「俺はお前からそのことを聞き、旅先の方々でそのようなことがないか調べたのだ。そう…、そしてついぞ北方の森奥の小さな集落に立ち寄ったとき、そこの長老から聞いたのだ」
ローの眼差しが動く。
「…あるのか?」
無言で友人が頷く。
「それは、ルキフェルの伝説には無い伝説、いや伝承ともいえるかもしれん。或る小さな人間の集落でしか伝わっていないのだから」
「ルキフェルの…?」
「そうだ」
言って友人の眼が見開かれる。それがローを見る。
「どういう言い伝えなのだ?」
「その土地の始まりは或る花が関連している。その花はその土地では『枯れぬ花』と言われている」
「枯れぬ花?」
「そう、竜人族の言葉で
ローが友人の言葉と同じように呟く。
「そうだ。その花は枯れぬこと無き、永遠に咲く花と言う意味だ」
友人がフードを手で払う。その先に小さな紙が握られている。
その紙を広げる。広げると再び話し出す。
「俺は長老に聞いた。それはどういうことかとね。すると長老は『この集落の始まりが竜人族とある娘の恋から始まっているのだ』と小さく囁くように切り出すと、俺を小さな祭壇へ連れて行った。その祭壇には小さな扉があり、そこを開くと小さな盛り土と共に白い花が咲いていたのだ。長老はその花を指差してこれが『
ローは友人の言葉に耳を傾けている。一言も聞き漏らさぬように。
「長老は続けて言った。『花はずっと枯れぬ。これからも…』俺はずっと静かに長老の言葉を聞いている。長老は続ける『ルキフェルは人間の娘と恋に落ち、子供を授かった、しかしルキフェルは『悲劇』に見舞われた』
「悲劇…?」
友人が頷く。
「人間のオーフェリアは潮から生まれたのだ。それが種族の異なるものと交わり子を成した、それも竜の血は神の血なのだ、それを人間の娘が交わったことにより、力の弱い人間は強い『呪詛』にかけられた、それが望まぬこととはいえ。それは何か?それこそが子を成した後の百夜、自らの源に還るべき定めの呪詛、始まりの水となって死ぬという呪詛なのだ』」
「水になる…だと…」
ローが動揺する。それを抑えるように友人が手を上げる。
「そこで長老は俺に小さく呟いた。竜王の子らは今では古文書にしか伝わらぬ竜人族の族長達だが、その内のひとりがこの集落に来て娘に恋したのだ、そしてこの花は我らの先祖のひとり名もなき娘なのだと言う。水になった娘はやがて花となって咲いたのだ。そう、この集落はその『呪詛』で始まっているのだ。この『枯れぬ
ローは見開いた友人の眼に揺れる炎を見た。
炎が何を揺らしてるのか?
「それはその土地にしか伝わらぬルキフェルの伝説なのだ」
「その土地の名は?」
トネリは首を横に振る。
「それは言えぬ。その土地の名を明かさぬことがこの話を長老から聞くための約束なのだ。俺はそれを守らねばならない。その土地はこれから先も竜人族の血を僅かに脈々と向き合いながら生きていくのだ。深い呪詛と共に閉ざされた深い森の奥で」
ローはうなだれるように呟く。
「子を成した後の百夜…」
「そう、確かお前の妻リゼィがなくなったのは…」
「……百夜の夜だった」
トネリは頷いて言った。
「そして一つの野辺の花が咲いた。それは今もリゼィが眠る墓所で人知れず咲いている」
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