第28話

(その28)



 ――何が若者をこれほどまでに悲しくさせているのか?


 月明かりの下、ミライは若者と静かに対峙している。

 若者は鷲の白い羽飾りのある黒い鍔帽子を目深く被り、紺色の端に金糸で刺繍されたマントを羽織っている。腰にはいつぞやの長剣と短刀を吊り下げており、その服装からして正式な使者としての礼儀を兼ね備えていた。

(使者・・それは誰の?)

 ミライは顔を上げ、若者を見た。

 揺れる月明かりが若者の白い相貌を浮かべる。その表情は悲しい。

 その悲しみの端に深い憂いが浮かんでいる。

 その憂いは悲しみを捉えて重く若者の心を覆っているのだ。

 若者の眼差しがミライとシリィを見ている。

 若者の眼差しに映るものがどのように見えるのか、それは陽炎のように揺れているかもしれない。


 ――月夜の訪問者の君よ。

 あなたは何を成す為に現れたのか?

 悲しみと憂いを浮かべながら。


「客人、こちらへ来られよ」

 老人の声に若者の睫毛が揺れた。

 薄く閉じられた瞼の下で視線が動く。その眼差しはミライとシリィを抜け、奥の方へと動いた。

 若者は帽子の縁に静かに手を遣ると、目を伏せ、二人の側を抜けて行く。その背を追うように二人も続く。

 若者は音もなく進むとやがてランプの明かりの届くところで静かに立ち止まった。

 若者は老人と対峙した。

 ランプに照らされた若者の影が揺れる。

 老人は椅子に腰かけながら、パイプを口に咥えて静かに若者の姿を見つめている。その眼差しは優しく、どこか懐かしいものを見つめているようだった。

 若者は唯、静かにその場に立っている。

 夜の訪問者は自分がその場に揺れる影になるとしているのか。

「客人よ・・」

 問いかける老人の言葉に若者が僅かに動く。

 老人は頷くと短い髪を撫で、眼光鋭く言った。

「使者としての口上を承りたい」

 その声は椅子に揺られて夜を眺めている老人ではなく、歴とした武人としての響きがあった。

 その声にシリィが何か言おうと進み出るのをミライが手で押さえた。不安げに振り返りミライを見つめるシリィに首を横に振る。

 若者は腰から長剣を抜くとその場に片膝をついて剣を置き、被っていた帽子を手に取り静かに胸に当てた。

 若者の栗色の髪がランプの明かりに照らし出され、切れ長の眼差しが伏せられると、小さく息を吐く音が聞こえた。

 その吐く音が消えた時、若者は顔を上げた。

「夜分の突然の訪問、失礼致します。我が名はベルドル、或る王国の護衛兵を務めています。貴殿はアイマールの武人ロー殿とお見受け致しますが、いかがでしょうか?」

 若者は慇懃に尋ねた。

 老人が顎を撫でる。

「いかにも、私は貴殿の言う通りアイマールの武人ローだ。ベルドル殿、貴殿の丁寧な挨拶嬉しく思う。しかしかような夜分の用向きとは一体なんだろう?」

 問いかけに若者は微動せず、静かに動かない。

「ベルドル殿、貴国についての夜話を私に聞かせるためか?いや・・違うまい?」

 最後の言葉に若者がさっと顔を上げた。その眼差しが捉えた老人は眼を細め、微笑が浮かんでいる。

 若者はそこでもう一度息を吐いた。何かに気圧されぬように、それは長く深かった。

「左様です。わたくしの訪問は父ベルドルンの言伝をロー殿に伝えたく、罷り越してきた次第です」


――ベルドルン、その名を聞いてシリィがはっと顔を上げた。

 ミライは顔を若者に向けた。若者はミライの視線を伏せるように鋭く言った。

「では父の言伝を申し伝えます」

 若者はそこから一気に話し出した。



 ――貴殿とは長年互いに分つものがあった。それを再び一つに帰すべき時が来たように思う。

 互いの肉体を磨くべきものを手に入れた今こそ、その時ではないか。

 年老いた武人に残された時間は少ない。

 いざ、互いの過去に決着をつけようではないか。

 次を生きる者たちの為に。



「父への返事を承りたく」

 若者の言葉が突然消え、静かな時が流れた。

(不思議だ・・)

 ミライは思った。

(感じることのない時の流れという風が吹いている)

 そう、この風はここにいる皆の心の中を吹き抜けているのだ。

 この風は現在から未来へと流れているのではない。過去へと戻っているのだ。

 きっとどこかで時間をつかさどる車輪が回っている。

 しかしそれは音もなく、ただ静かに、誰の耳にも聞こえることなく、静かに静かに月夜の下で。

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