第8話

(その8)

 

 月明かりが揺れたのかそれとも若者の瞼が揺れたのか、ミライの頬に小さな微動が伝わる。

 その揺れの中に微かに誰かを呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 錯覚だろうか、そう思いたくなるほどの小さな声、

 それは心の声かもしれない。

 では誰の声だろう?

 

 ――母上


 若者は薄く閉じた瞼のまま、ミライを見つめた。その瞳の奥に時が吸い込まれてゆく。それは一気に闇を吸い込み、月明かりを言霊に変えてシリィに向かって放たれた。

「そこの御方が・・あまりにも似ていたのです。小さいころに消えた母上に・・」

 若者はそこで小さく息を吐いた。

「私は母の顔を知りませんが、館には母の肖像画あるのです。その母の肖像画に・・この御方があまりにも似ていたので・・」

 ミライが間を入れることなく言う。

「もし、似ていなかったら彼女を切っていた?」

 若者は首を横に振った。振ってから長刀を月明かりに輝かせ、それを反転させる。

「いえ、それはありません。そこの御方の胴に当たる時には峰打ちに変えるつもりでしたので・・」

 

 瞬時に刀を峰に返すことなど相当の剣技の持ち主では無ければできぬ芸当であるが、自分の放った礫を瞬時に払った技量があれば、この若者にはとっては造作もないことであろうと思った。

「ミライ殿、貴殿のご質問は以上でしょうか?もし、それであれば、いかがでございましょう?わたくしの願い事、ご返答をいただきたく」

 若者は礼儀を改め、頭を下げる。

 この若者はミライに対して誠意を持って答えた。それはミライにも良く分かった。その返答に嘘偽りは全くないと思われた。

 ミライは左目を薄く閉じて若者を見つめた。

「ミライ・・」

 シリィの声が月明かりを揺らす。

 振り返り、シリィを見る。彼女の瞳に自分と若者が映っているのが分かった。

 それが月明かりに揺れている。

 月夜の見知らぬ闖入者に彼女の心は定まらぬまま、何かわからぬが自分の予期せぬ未来に対する不安が押し寄せてきているのだろう。

 だが、ミライの心は決まっていた。


 ――若者は自分に対して誠実さで答えたのだ


「ベルドル殿でしたね」

 少しの間を取って、ミライは言った。

「明日はここの依頼主の為に装具を整えなくてはならない」

 若者が頷く。

「ですので、明日の晩、同時刻に迎えに来ていただけませんか?」

「ミライ!!」

 シリィが小さく叫ぶ。その声を優しくミライの手が押さえた。

「大丈夫だ、シリィ。これは仕事の依頼なんだ。決して僕が死ぬとか、そう言ったもんじゃない」

「しかし・・」

 彼女がミライの胸に手を寄せる。その手をミライが握る。

「大丈夫だ。仕事が終われば直ぐに戻るさ」

 シリィが首を振る。ミライが仕事に行くことには納得はしているのだが、何かが心の底から反発するのだろう。

 その何かに若者が一歩足を進めて跪く、シリィの何かに。

「ご婦人、ミライ殿には決して危害を加えるつもりなどありません。それはお誓いいたします、わたくしと一族の名誉と誇りにかけて、そして・・」

 若者は顔を上げて鞘ごと刀を額に押し当てて頭を下げ、静かに、しかし力強く言った。

「母上の名にかけて」




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