第54話
(その54)
その夜は風の無く、外の音は瞼を閉じるローには良く響いた。
誰かが何かを夜の闇の中で囁こうものなら、それは瞬時に耳に届くだろう。それ程の静寂の夜だった。
暖炉の炎が消えかけようとしているのが分かると、ローは手を伸ばし、火鉢で燃える木を掻きまわす。それから火の勢いを強くするため昼間干した干し草を一握りだけ、暖炉の中に放り込む。
パチ、
パチ、パチ…
音がして炎が燃え上がる。その燃え上がる炎の熱さが頬に伝わる。
その炎が僅かに揺れた。僅かに揺れたその炎が何に揺れたのか?
ローは不思議に感じた。
(風ではないか…?)
思うと顔を上げて振り返り、窓から夜の闇を見た。夜の闇に僅かに浮かぶ木々の葉は揺れていない。
(風ではないのか)
ローは立ち上げる。立ち上がりながら暖炉の炎を見る。それはわずかだがやはり揺れている。
ローは眉間に皺を寄せて、緊張する。
直感が何かを囁いた。
その囁きが四肢に力を籠める。装具の足音を消すように静かに壁に背を寄せる。それはゆっくりと歩き出しながら暖炉の炎の明かりが届かぬ、影と交わるところで泊まる。そこで呼吸を整えるように息を小さく吐く。手をゆっくりと腰に下ろしたが何もなかった。
となれば、拳に力を込めた。
(こいつでやるか…)
僅かに身を屈める。
それから意識を部屋に通じる閉じられた扉へと集中させる。
その向こうに広がる夜の闇の中に何かを探ろうとする。
暖炉の炎は未だ揺れている。
何者かが巻き起こす風によって。
音が聞こえる。
それは庭の草花を押す音。
規則正しいがやや、その足音は踏み出す時、僅かに重く響く。
(狼や熊のような四足獣じゃない…、かといって二足獣でもない…)
拳を強く握りしめる。
(こいつで仕留めれるか…?)
ローは口の中で唾が渇くのを感じた。
(もしコカトリスのような二本足の鳥獣であれば…銃の方が良いが…)
最近、厄鳥ともいえるコカトリスの姿は見ないが、繁殖して育ったものは突然現れる。
(それとも昼間見たルーン峡谷の空向こうに飛び去った孤影か。もしかしたら餌を求めてここらに降り立った巨大な鳥かもしれん…)
ローは冷静になって考えを巡らせたが、再び拳を握りしめた。
(やはりこいつでやる。見えたと思ったら真っ先に目を潰す)
膝を屈める。装具が緊張する肉の塊と共にめり込む。
(来な、さぁ)
今にも襲わんばかりに形相になって扉を見つめる。
その扉が僅かに開いた。そこから夜風が吹き込む。
ローは一気に四肢に力を籠める。いつでも弾力のある猛獣のように相手に飛びかかるために。
「父さん…」
吹き込む夜風が囁いた。
夜風だとローは思った。
夜風は再び囁く。
いや囁きではなかった。それは声となってローの耳奥に響いた。
「…父さん…」
ローはその声で四肢に込めた力が一瞬で抜けてゆくのが分かった。それから驚きともいえない表情でその声の主を見た。
視覚が夜の闇を破りそこに立つ人物をはっきりと認識させる。
「お…、お前…」
ローはよろめくように歩き出す。
数歩歩き出すと、手を伸ばした。やがてその手が細い肩に触れる。
ローはその手を背に伸ばし、待ちわびていた人を優しく抱き寄せた。
抱き寄せながらローは言った。
「リーズ…」
抱き寄せられた腕の中で娘が言った。
「父さん、帰ってきわ」
「ああ…」
父と娘が顔を合わす。それからローは突然おや?と言う表情をした。自分の腕の中が大きく膨らんでいる。
不思議な表情で娘を見ると、娘は両腕に抱えている小さな存在が居ることを見せるように父親の前に出した。
ローは驚いて顔を上げて娘を見る。
「こ、これは…リーズ??」
娘は小さく無言で頷いた。
「そう、父さん。この子はベルドルンとの間に生まれた二番目の子、シリィ。父さんに見せる為に連れて来たのよ」
驚きで声が出ない父親の顔を見て微笑すると言った。
「父さん、いつまでも外に居ちゃ寒くて、この子にも悪いわ。早く家に入れて頂戴」
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