第49話


(その49)」




「森道を歩いているとやけに木々の上で野鳥共が騒いでいるので見上げると、何かが森の木々の枝に絡まっているのが見えた」

 言いながらトネリは指を赤子の頬に触れる。

「目を細めれば、そこに居る野鳥共は黒羽の死鳥共ではないか。俺は僅かに眉を引いて、その場を立ち去ろうとしたのだ。何か鳥でも空から落ちて木の枝にでも引っかかり、死鳥共が嘴で死肉でも啄んでいるのだろうと思ってな…」

 ローは友人の眼差しを見る。

 それは友人の眼差しを通じてその場で見合わせた光景を思いあわせようとしているのだ。


 ――遥か北の森。

 その森の上の木の枝にぶら下がる何か。

 それを覆う群れる死鳥共のけたたましく鳴く声。


 何かが自分の中で重なり合う。

 それは古い記憶の底に眠る何か。

 そこに赤子の鳴き声でも混じるようなら、それは…


 そこまで思うとはっとして顔を上げた。

 上げると自分を見つめる友人の両の眼が見つめている。

「トネリ…」

 友人が頷く。

「その場を去ろうとしたとき、俺の耳に僅かに声が聞こえたのだ。そう、赤子…この児のな…」

 頬に触れた指が瞼を撫でて行く。

「俺は振り返ると急いで木々を揺らし、それから森の葉を滑るように落ちて来るこの包みを受け止めた。それから包みを開ければ中に鳴いている赤子、という訳だ」

 瞼を撫でる指が右から左へと動く。左目には何もなかった。

「左目は既に無かった。もしかしたら死鳥共に嘴でくり抜かれたのかもしれない」

 トネリは瞼から指を離す。

「それとも…、元々無かったのか…」


 ――元々無い、だと。


 友人の言葉にローは声を押し殺して視線を赤子に向ける。赤子は瞼を離れて友人の指先をじっと見ている。

「俺と同じ生来の不具とでもお前は考えているのか?」

 トネリは首を横に振った。

「それは分からぬ。北のランブレットの石碑の向こうはシルファの辺境だ。あそこの空を空挺騎兵が空挺を率いて軍事訓練で飛ぶのを見たことがある。もしかしたら、この子は竜人族とは違って、訳あって捨てられた赤子かもしれぬ」

「可能性がいくつかあると言う訳か…」

 ローは思わず苦笑が漏れた。それを見てトネリが目尻を下げる。

可笑おかしいか?」

「いや」

 と言って、ローが手を振る。

「可笑しいわけではない。ただ、奇妙な謎というか不思議なことがこの子には有りそうだと思ったのだ。俺もこの身体に伝説の竜人族の血が流れているというのは事実だと認めないわけにはいかない。何故なら本物が居たのだからな。それにこの赤子とはいえ、どこか今夜は奇妙な組み合わせとしか言いようがない」

 そこまで言うと堪え切れずローは笑い出した。

「そうだな。その通りかもしれん」

 トネリは笑う友人の前でフードの胸元から四角に居られた紙を取り出した。それを笑いながらローが見つめる。

「それは俺が伝書鳥に渡した手紙…」

「そう、『古代竜王ルキフェルの伝承について何かを寄越してほしい』と書いてある。これを読んでお前の筆跡を見て、俺はお前に会って話を聞いた方が良いと思い、実は途中…ミレイの所へ立ち寄ってこいつを持ってきた」

 言うや脇に抱えていた包みを広げる。

「ミレイ…?だと。あの絵師のか?」

「ああ、お前の亡くなった妻の肖像画を俺が依頼していたのだ。もうすぐお前の亡くなった妻リゼィの命日だ。それでお前のいくばくかの慰めにと思い、リゼィの若い頃を知るミレイに頼んでいたのさ」

「トネリ…」

 言い終わると同時に包みが開かれた。

 そこには黒髪を額で綺麗に分けて耳を出してこちらを見つめる若い女が描かれていた。

 やや斜めに身構えて差し込む陽を頬と細い首に受けている女は黒い生地の服の腹部の前で細く伸びた指がそこに宿る不安を恐れないように優しく撫でている。

「リゼィ…」

 思わずローが呟いた。眼は一瞬大きく見引かれてやがて過ぎ去った時間をお思い出す様に瞼が細く閉じられてゆく。

 その表情をトネリが見つめている。

「似ているだろう。ミレイにとってもいい出来の作品だと言っておいた。100マルス程だが、別段高い買い物ではなかった」

「おい、おいそれは高価な…」

 トネリは首を横に振る。

「いや…、お前が受けたあの悲しみに比べれば大したものではあるまい」

 暖炉の中で炎がパチリと音を立てる。

「それにだ。もし俺の推測が正しければお前はリゼィのが再び自らに訪れるのではないかと危惧して、古代竜王ルキフェルの事を俺に聞きたくなった」

 ローが唾を飲みこむ音がトネリには聞こえた。それから念を押す様に友人に言う。

「違うか?」

 ローは微動することなく友人の強い意志を含んだ視線を黙って受け止めていたが、やがて堪え切れなくなったのか、大きく息を吐いて「そうだ」と言った。

「トネリ、お前の言う通りだ。そう俺は聞きたくなったのだ。妻の怪死…、その謎をな。お前ならきっと知っているはずだとおもってな…」

 また暖炉の中で炎が音を立てて燃え上がる。その音に交じる様に包みの中から赤子の安らぐ寝息が聞こえて来た。

「お前にだけは妻の最後の様を伝えた」

 ローの呟くような声が赤子の寝息と共に夜の静寂(しじま)に吸い込まれていくと、それを破る様にローは再び頭を振って友人に向かって強く言った。

「妻は俺の腕の中で溶け、やがて地面に広がる水になって死んだ。トネリ、お前なら既にそのことについて何かを知っているのではないかと俺は思った。お前はこの世界のあらゆる伝承に通じているからな」

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