第31話
(その31)
記憶の中で揺らめく粒子が陽の光だと気づくのにそれ程時間はかからなかった。
若者は薄く閉じた眼差しを開けた。
睫毛に掛かる明かりが眩しい。
だが眩しい灯りと共に激しい激痛に黒髪が揺れ、端正な顔を歪めた。
――そうだ、私に何が起きたのか?
若者は痛みの走る太腿を見た。左膝に矢が突き刺さっている。みれば矢は長いもので、戦闘用というよりも、獣を射るための狩猟用に見える。
それが太腿を貫通していた。
――こいつは音もなく、自分を射抜いた。
耳を四方に傾ける。音は無い。
――私は空を飛んでいた。この森の上空を。
首を回して辺りを見る。陽の光に輝く新緑の森の葉に陽光が煌めく。半身を起こせば少し遠くに小川が見えた。
――矢を抜いて、あの小川で傷を洗わなければならない。
若者はそっとその矢に触れて、剛毅にも抜こうとした。
「ぐわっ!!」
思わず声を上げた。
長矢は自分が思っている以上に太腿の肉を裂き、深く貫いていた。
朱に染まった鏃が見えた。そこに自分の血が流れ落ちているのがはっきりと見える。
――動けぬか・・
だが何としてもあの小川まで行かねばならない。
そこで急ぎ傷口を洗わなければ化膿し、場合によっては足が腐ることもある。
そう狩猟用であれば獣を痺れさせ、或る医は致死に至らせるための鏃に毒が塗られていないとも限らないからだ。
若者は腰に手を遣った。探るとベルトがあってそこに小さな短剣と長い直刀があった。直刀は曲線が無く、刀身を収める鞘は黒字に銀の絵柄が施されていた。
若者はその内の短剣に手を遣り、鞘から抜いた。それを陽にかざすと、刀身に自分の貌が映る。
――なんという貌をしているのだ。
思わず自虐的に笑いそうになった。その表情は青白く、唇も紫色に染まっていた。
――毒があるようだ。
一瞬でそれを悟った。出血だけでこれほど相貌が変わることは無い。自分は武人である。戦いの中で生きている。血を流すこともあるのだ。これぐらいの矢の怪我で死相が出るようなことはない。
――死相か・・
王都へ向かう途中、急に南の平原向うを見たくなり、今自分が倒れている森の上を飛行した。
この森は遥か王都の南にあって、その向こうには急峻な山々が並び立つ。
若者はいつも王都からその急峻に聳え立つ山々の事を思っていた。
その急峻な山々の向こうのさらなる奥には遥か神話の時代、この世界に初めて降り立った
それは岸壁に覆われた空まで伸びた山で在り《並び立つもの無き頂》と言われていた。
――いつか我らの祖先ルキフェルが降り立ったという《並び立つもの無き頂》見たいものだ。
自分は遥か古代にその古代竜から別れた竜人族である。
伝説によれば竜人族の成り立ちはこのように伝えられている。
――この世界に降り立った父なる24枚の黄金色の翼を持つ古代竜王のひとり「ルキフェル」
彼が初めてこの世界に広がる美しい海原を見た時、その翼の巻き起こす風と潮風が混じって人間が生まれた。
やがてルキフェルは生まれた人間達を護るものとして彼等を見守り続けたが、その内人間の中でもっとも美しい娘オーリアを見つけ恋をした。
ルキフェルは九百九日余りも悩み続けた。
何故なら人間と結ばれるには、神から授かった不死の恩寵を捨てるしかなかったからだ。
しかしルキフェルは長き苦悩の果てにその恩寵を捨て、人間に姿を変えてオーフェリアと結ばれることを選び、二人は千日目の明けの明星が輝く下で結ばれた。
やがて二人から生まれた者たちが後に竜人族と言われ、彼らは竜としての素質と人間としての定命を持ち合わせた「竜人」としてこの世界に誕生した。
若者は遥か古代の先祖の伝説への思いを心に秘めていたが、やがて王都から眺めていた思い叶えようと、今日一人王都へ帰る途中、南へ飛び立ったのだった。
しかしながら、それは思いのほかの結果となり、今自分は瀕死の状況になっている。
若者は短剣を握り、片方の手で矢を握った。苦痛に顔を歪めた一瞬、見事に矢を切り取った。
それを手で野の草の中に捨てると、若者は長剣を地面に突き刺して、身体を支えるように立ち上がった。
その時だった。
「動かないで!!」
若者はその声に動きを止めた。しかし瞬時に短剣を握る手には力が入った。
「短剣から手を離すのよ!!」
若者の肩から腕に走った筋肉の緊張がどうすべきか迷っている。
それを見透かすようにまた声が飛ぶ。
「短剣を離さないと矢が飛ぶよ!!」
低く殺気を含んだ声だった。若者は既にその声が女だと分かっていた。それだけでなく、おそらくはその声の持ち主は自分の背の方、つまり怪我をした左膝の後ろの死角に居ると分かった。
手慣れている。
狩りに、いや戦闘に。
若者は瞬時に心を決めた。
短剣をゆっくりと鞘に納めた。
それは争う意思が無いということを示しているが、相手はどうとるか。
その時、うっと小さな呻き声を出して、若者は地面に膝をついた。つきながら矢が肉の内を裂くように深くめぐりこむ。
剣を突きながら、片膝をついた。
激痛に顔が歪み、汗が出て来た。
すると茂みから足音が駆け寄って来る。
若者は振り返った。
弓を構える女が見えた。
若者は女の顔を見る。額で綺麗に分けられた栗色の髪に同じ色の眼が自分を見ていた。
女が驚いた表情で声を出す。
「空を飛ぶ化け物を弓で射落としたと思ったら・・・何、あんた・・・、一体あんた何者なの?」
若者はそれに答えようと唇を動かしたが、その唇が動き終わらぬうちにその場で気を失って崩れ落ちた。
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