第44話

(その44)



 大きな背にシリィが手を触れる。その温かさに目を細めて老人が手を伸ばす。

「ベルドル殿、まぁ椅子に腰かれられよ。立ったまま長話と言うのも疲れるだろう…、ミライお前もだ」

 言われてミライは横に立つ若者の顔を見る。若者はどうすべきか、そんな思いが浮かんでいる。

「ベルドル殿…」

 ミライの言葉に瞼の下で眼が動く。それがミライと合う。

「ローの言う通り、腰を掛けましょう。どうやら話はまだ長いらしい」

 老人がミライの言葉に微笑する。それに答えるように頷くと若者は椅子を引いて腰から長剣と短刀を抜きくと、長剣を横にかけて短剣を膝の上に置き、静かに腰掛けた。

 膝に置かれた短剣にローに視線が落ちる。

「それは『焔蜥蜴の短剣サラマンダーダガー』だな…」

 若者が驚くように顔を上げる。

「ご存じで?」

 小さく顎を引く。

「無論」

「これは母の形見なのです」

 老人は静かに若者を見つめる。

「…そうか」

「ええ…父が言うには母と《並び立つもの無き頂》へ向かい、帰って来た時に互いに生涯を生きることを誓った時の証だと言うことです」

 老人はそれには黙って何も言わなかった。ただ何も言わぬ言葉の内で何かを思い出しているようだった。しかし一つ小さな咳払いをすると孫娘の名を言った。

「シリィ…」 

 言ってから孫娘に言った。

「茶を持ってきておくれ。できればサイヤの実を煎じたものを。なにせベルドル殿はこの夜を飛んできたのだ。おそらく疲れておるだろう。薬湯で疲れを取ってもらわねば、この後我が館に帰れないからな」

 ふふと小さく笑うと孫娘を促す。

 シリィは背から指を離すと、ちらりと若者を見た。

 若者は唯何も言わず押し黙っている。

 シリィの眼差しが捉えた若者の口元が夜の闇から現れた時より僅かに穏やかに見える。もしかしたらそれは気のせいかもしれないが、しかしシリィにはそう見えた。

 いやそう見えて欲しいと思ったのかもしれない。

 今までも見も知らんなかった兄…。

 そう思うとシリィは僅かに心の中から溢れて来る温かいものを感じないではいられなかった。

「おじい様、茶を用意します」

 言ってからもう一度若者を見た。

 若者の美しい瞼が僅かに動いてシリィを見る。それは優しく、強さを秘めた存在が確かに持ち得る眼差しだった。


 ――妹よ…

 

 ミライは言葉に出せない思いが溢れている二人の眼差しを感じている。

 しかし言葉に出ない思いを感じるのはこの二人からだけではなかった。

 それは目の前で静かに押し黙る老人からもだった。

 ミライは奥で何かが落ちる音を聞いた。

 それはシリィが注ぐ薬湯の音だったのか、それとも幾年も交わることも出来ず固まったままの時間が崩れ落ちる、そんな誰かが待ち望んでいた音なのではないかとミライは思った。

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